「モチーフ」と「らしさ」

マカロニえんぴつが好きじゃない。でもメンバーや歌が嫌いなのではない。ただ「洗濯機と君とラヂオ(2017年)」のMV(ミュージックビデオ)が死ぬほどとにかく本当に嫌いなのである。

一体どのようなMVなのか。コインランドリーで女の子2人がゆるい振り付けのダンスを踊るという内容が主である。どこからどう見てもフレデリックの「オドループ(2014年)」とポルカドットスティングレイの「テレキャスター・ストライプ(2016年)」のキメラに思えるのである。二番煎じ×二番煎じで四番煎じである。芸術学部ではないものの曲がりなりにも当時デザインを勉強していた学生の僕は、これを見て「えっ...こんな表現を今使うのダサ...」となってしまったのである。

 

ところで、何故コインランドリーを使った映像はおしゃれに思えるのだろう。これらの動画を見たときにこんなことを疑問に思ったのである。そしてゼミをサボってコインランドリーの動画をYoutubeで漁る旅に出た。コインランドリーの動画を収集したプレイリストが今は無いので虚覚えであるが、少なくともテレキャスター・ストライプ以前の動画で、おしゃれだと感じる動画はほとんど無かった。1曲だけ邦楽で夏だけど涼し気な感じのMVがあったはずだが誰の曲か忘れてしまった。洋楽のMVもできる限り調べたのであるが、洗濯物が散らばっているなど雑多な生活を表現する「モチーフ」として使われている。アメリカのコインランドリーはもの凄く広いようで、カートを洗濯物にドカッと乗せてゴロゴロ移動し洗濯機にぶち込んでいた。全然おしゃれには感じない。ところがテレキャスター・ストライプ以後、tofubeatsの「BABY(2017年)」やSIRUPの「LOOP(2018年)」など、コインランドリーがおしゃれで都市的な生活を表現するモチーフとして使われている。

映像作品を通してコインランドリーの持つ「らしさ」、コインランドリーを見る我々に浮かぶイメージが雑多・生活感・泥臭さ→クール・無機質・都市的へ変化しているのである。しかし、コインランドリーを使う人々の生活は雑多で泥臭いままじゃないかと思う。日常的な「モチーフ」を用いて非日常的な「らしさ」を映し出す、そこが演出家の腕の見せ所である。

 

僕が病に伏したと聞き、塾講師バイト時代の教え子が先日自宅にやってきた。読書大好きな僕の自宅にはニッチで濃い本が山ほど転がっており、教え子もゴロゴロしながら色々読んでいた。一際異彩を放つのが古本市で買った「FRESH FRUiTS」という2002年頃の原宿のストリートスナップ写真集である(今は無きストリートファッション誌「FRUiTS」編集部が複数回写真集を出版したようである。)。登場する男の子女の子、とにかくビビッドで色彩豊かで派手なファッションである。中にはドクター中松が発明したジャンピングシューズを履いている謎の青年もいる。2人でなんだこのファッションはワハハと言っている間に、2人で一番好きなファッションの女の子を決めることになった。厳正な審査の末、2人ともその写真集の中で一番落ち着いた色彩の女の子を選んでいた。教え子は「こりゃ森ガールですね」と呟いた。かわいらしさを構成する要素も変わっていくのである(森ガールは2006年以降に流行したファッション)。

 

そういうば窪田正孝デスノート(2015年)放送時、とあることが話題を読んだ。オタク文化を表現するモチーフとして「スマホに映るまとめサイト」を使ったのである。それ以前は「ニコニコ動画のような横に流れるコメント」が主流であり、刑事ドラマのネット犯罪をテーマにした回なんかでかなり使われていた。使われていたが故に陳腐化したのであるが、2代目デスノートがマンネリを打破したのである。昨日The WでAマッソが映像をバックに投影しながら漫才するというワクワクするようなことをしていた。その中で漫才している2人の背後でコメントが横に流れるという演出があったが、1つ1つのコメントが面白いので爆笑してしまった。Cマッソとは一体。使い古されたモチーフでも才能と工夫と泥臭さで面白くなれば何でもありなのである。

 

もう一度学生になるなら映像作品を通して「モチーフ」と「らしさ」の変遷の研究をしたいなあとぼんやり考えている。

 

【コインランドリーのMVあれこれ】

テレキャスター・ストライプ / ポルカドットスティングレイ

 

②洗濯機と君とラヂオ / マカロニえんぴつ

 

③BABY / tofubeats

 

④LOOP / SIRUP