M-1と歪んだ多面体

「先生はどうして芸人にならないんですか?」

個別指導塾でバイトしていた頃、真顔で中3の教え子に聞かれたことがある。考えていた人生の進路に芸人のげの字も無かったのでキョトンとしてしまったが、詳しく聞いてみると授業中の雑談が支離滅裂で面白いので芸人になってほしいとのことであった。しかしながら授業中にでたらめを言うことと芸人になることは明らかに異なる。初代探偵ナイトスクープ局長の上岡龍太郎氏(漫才師ミキの伯父にあたる)の言葉をお借りすると、「真面目にコツコツ働くよりも、(芸人になって)、末路哀れは覚悟の上、一攫千金・棚からぼたもち・濡れ手で粟」なのである。芸人になれば一攫千金を狙えるものの、売れなくて野垂れ死ぬ哀れな末路を覚悟しないといけないのである。小心者の僕はそんな博打を打つ気になれない。そして僕は一発ギャグとモノマネが死ぬほど苦手である。もしイロモネアに出演したら、ショートコントとサイレントとモノボケまでは頑張るとして、以降は舞台の端で仁王立ち、相方が5人笑わせる瞬間を淡々と待つ羽目になる。それ以前にうっかりサイレントで「バカカラス!」と叫び失格になっているかもしれない。

髪型が丸っこく眼鏡の僕は、塾で教え子たちから「バカリズムだ!」「いいや三四郎の小宮だ!」「先生はブサイクだバカリズムと比べるのはよくない!」など散々言われてきた。大学ではWebライターのARuFaに似ていると言われ、専攻の同期が本人のTwitterアカウントに目線を隠した僕の写真を送りつけたところ、いいねだけ返ってきた。本人のお墨付きを得たのである。ところが最近は丸眼鏡をつけているせいか、志らく師匠に似ているとよく言われる。日記がバズって知名度が上がったら、お昼のワイドショーに志らく師匠みたいな顔をしてコメントしている丸眼鏡の僕が出演しているかもしれない。

 

志らく師匠についてはワイドショーのご意見番のイメージが強いかもしれないが、2018年からM-1グランプリの審査員を務めている。2018年のM-1霜降り明星が優勝、上沼恵美子の件で一悶着あった回である。僕もTwitterM-1関連の情報を検索しながらTVを見ていたのであるが、どうも審査員の志らく師匠がボロクソに叩かれているのである。「上沼と志らくは審査員やめちまえ」だなんてツイートも結構ある。ところが僕が見ている分には、志らく師匠は至極真っ当なことしか話していないように思える。発言が若干逆説的であり行間を読む必要があるが、どう考えても挑戦者に対する暖かい激励にしか聞こえない。なんだか不快な気分であったが、翌日研究室の同期に会うと彼も僕と同じ意見であった。

おそらく審査員と挑戦者のやり取りには芸を磨き舞台の上に立った人間のみが持つ暗黙知が含まれており、ド素人の我々には安直に理解できない境地があるはずである。話芸を通して各々の世界観が衝突するM-1と、コンセプト・表現を通して世界観が衝突する卒業設計は何かしら似通ったものがあり、卒業設計発表会を経験した僕らには彼らのやり取りにほんの僅かかもしれないけどシンパシーを感じることができたのかもしれない。

 

さて、例えばプロ野球の試合の放送では実況に加えて「解説」が存在する。野球の知識が乏しい僕らにも「対左打者がどうのこうの」「内角低めを狙ってどうのこうの」とその場の状況・戦略・今後の展開を解説してくれる。ところがM-1や卒業設計発表会には解説がいない。挑戦者と審査員と司会と観客しかいないのである。このようにM-1のスタジオに存在しない「解説」を補完する試みが最近は続々と現れているように思う。例えば、去年のM-1直後にカジサックが審査員のオール巨人師匠を招いてM-1当日の裏話についてトークしていた。また、第1回M-1準優勝コンビであるハリガネロックユウキロック(実はケンコバの元相方、現在はお笑い養成所講師)がM-1で優勝した歴代コンビのネタを分析した動画を配信したりしている。

ただ、「解説」の補完と同時にそもそもド素人の我々のリテラシーが試されているのではないかと思う。挑戦者と審査員の高度なやり取りが進行する中で、観客がそれを見て本来の発言の意図からすっぽ抜けた誤解をする可能性も大いにあるだろう。技術的に申し分ない打者に対して、甲子園の外野席でビール片手におっさんが「打たんかいドアホ!」と叫べば、ただそれだけで終わる。しかしTwitterで叫べばそれが募りに募ってトレンド入りし、的外れな記事が書かれ、あらぬ事態につながるかもしれない。それらの行為は百害あって一利無いのである。お笑い第7世代のブームや芸人のYoutube配信、賞レースにおける視聴者票の起用などお笑いがより身近になっている中で、観客が芸人を応援・評価する際にも一種の責任・緊張感、共にお笑い文化を進化させていく一員であるというスタンスが必要じゃないかと感じている(これはお笑いだけに限らず)。

 

以前の日記でとあるMVが死ぬほど嫌いと述べた。しかし、これは僕という1つの視点・面である。映像研のある人は「バンドの音に合わせたカメラワークの切り換えがうまい」、女の子大好きなある人は「ダンスを踊っているあの子がわいい!そしてかわいく見せる演出と照明が凄い」と思っているかもしれない。人は誰しも固有の暗黙知を持っており、お笑いやMVを含めてすべての物事は膨大な視点・認識が重なり合った多面体でできている。問題は面と面が衝突した時であるが、「そうか、そういう視点もあるのか」と許容できれば視界が開けてポジティブな方向に進んでいく。でもこれが難しく、実際はお互いが我を貫いて角がズレた不細工なサイコロができあがることが多い。

さらに、SNSは恐らく数十億面体でありつつ形が歪みに歪んでいる。最近は無責任で攻撃的・扇動的な言説が多すぎてTwitterを見るのがしんどくなってきた。本当にそれが正しいのかどうかを精査する必要があり、精査している間に精査する必要がある他の事項が山ほど現れる。誰が本当の解説者かわからない。Twitterで検索したいだけなのにトレンドが勝手に目に入るし正直疲れてしまった。なんて思ってると先日書店で「右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない。 / 坪内祐三著」を見つけ、タイトルに惹かれ買ってきた。でも内容が超難しいのです...マルクス史観とか不勉強でよく知らないのでこの本を読むために複数の解説書を必要としている。とほほ。

 

今年のM-1は明後日である。誰が優勝するのだろう。楽しみだけど自宅にTVが無いのである...

 

【多面体のイメージ】

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