融氷

24時に寝て、2時くらいに起きて水を飲みうとうとして気づいたら6時半だった。もういいや起きようと思ってフルグラを食べて薬を飲むが、それからすぐに眠たくなってしまった。

昨夜は会社の先輩と久々に会って話した。話し方を忘れてしまい最初はたどたどしくなってしまったが、最後の方は調子を取り戻してベラベラ喋った。しかし、先輩曰く僕の顔がすっかり痩せてしまっているらしい。元気じゃないのがバレてしまった。そして、未だに病気のことをどう説明すればよいのか悩んでしまった。不眠・無気力・ぼんやりとした希死念慮、色々ある。

 

研究室の同期に譲ったので今は手元に無いのだけど、『不道徳教育講座』で三島由紀夫が残した「自殺することを考えろ」というような劇薬みたいな言葉が心に残っている。自殺をしよう、でもただで死にたくはない。銀行強盗してから死のうなどどんどん計画が壮大になっていき、結局考えるのが疲れて計画倒れになり毎日を生きるという逆説的な内容であった。僕の場合、自殺する際にはきちんと遺書を残したい。しかし遺書に自分のLINEスタンプのストアやTwitterアカウントを閉鎖する手順を書くのは家族に対してめちゃくちゃ恥ずかしい。そういえば高校時代に所属していた軽音楽部を引退し後輩たちから色紙をもらった後、色紙に書かれた「頭がおかしい」「破天荒」などのコメントを見て母親が嘘でしょという顔をしていた。家族は僕の静かな内面しか知らない。というわけで自分のスタンプを作ったことがバレると恥ずかしいので死なない自信が大いにある。

しかし病状に苦しんでいるのは事実である。睡眠が狂い無気力な生活が今後も続くと考えると苦痛である。そして人に頼るのが苦手な僕はこの辛い病状を人に正しく伝えて助けを求めることができるのか、それを正しく受け止めてくれるのか、それが今朝なんとなく不安になってしまった。助けを求めて日記を書いている節もあるのだけれども。

 

小林秀雄の「美しい花がある。花の美しさと言うようなものは無い。」をもじって、「しんどい病気がある。病気のしんどさと言うようなものは無い。」という感じかもしれない。患者にとっては本に書かれた抽象的な病名や症例に意味は無く、各々が抱えている具体の苦しみが意味を持つ。僕の苦しみと他の人の苦しみは違っているのである。みんな違った孤独な戦いをしている。相手に伝えるには自分の口できちんと伝えないといけない。それと同時に自分に甘いかもしれないけれども、僕が伝える時には先入観を持たずに聞いてくれたら嬉しいなと思う。僕以外の時にも。

先日晴れて臨床心理士になった高校時代の後輩から「心理士は推理士と言ってもいいかもしれない。1ヶ月くらいかけて立てた推理がその人のとある1日の行動で全てパーになることもある。」と教えていただいた。やはり長い時間をかけてじっくり向き合って氷を融かしていくべきもののようである。病気と向き合い始めて3ヶ月を迎えるがまだまだこの世界の初心者であり、皆さんの温かい言葉・アドバイスに励まされています。