生活の泥臭さ

一昨日の夜に高校時代の同級生たちとグループ通話しながら7人でわいわいゲームをした。日を跨いで解散しそろそろ寝ようとした深夜、友人から電話がかかってきた。スマホを耳に近づけてみるとどうやらお酒を飲んで酔っ払っているようである。僕も酔っ払っていたのでぐでんぐでんな会話をしていたけれども、次第に話題は僕のことに移っていった。そして「本当にお願いだから、お願いだからてきちゃん自殺しないでくれ!死んじゃだめだ!」とわんわん大泣きされてしまった。僕もびっくりして涙が止まらなくなり2人ぎゃんぎゃん泣いていた。「家族や友人が見守っているから、てきちゃんは1人じゃないから」と説得を受け、どれほど辛いことがあっても自殺を選択肢に入れないことを決意した。

「少しずつでいいから健全な生活を目指していこう。」

そう思って昨日スーパーで買い物して、簡単な料理しかできないけど自炊することにした。昨日はもっちりしたチヂミを作ってむにゃむにゃ食べた。チヂミを焼く音と雨の降る音が似ているので韓国では雨の日に食べるらしい。妙な風習だと思ったが、よくよく考えると日本の台風コロッケというネット発祥の風習もかなり妙なので人のこと言えないなと思った。風呂上がりにストレッチもした。寝正月で肩がバキバキである。

そして今朝、会社の上司に連絡し、来年度の人事、部署の体制を練る頃だと思うので一度自分の病状等についてきちんと話したいと伝えた。そうして今週の金曜日に近所の喫茶店で会う約束をした。定まった着地点は全く無いけれどもそれでも前に進もうとしている。

 

漫画家の業田良家の『ゴーダ哲学堂』という短編集が大好きで、僕の人生の書でもある。一番最後に収録されている『IN MY LIFE』という短編の最後の言葉が本当に良く、ああ生きなきゃなあと励まされる(是非読んでみてください)。この短編集では「人生に意味はあるか?」という問いに対して「人生には真・善・美という意味(価値)がある」という答えを提示している。「真実を求め、美を愛し、より善く生きる」、そんな生き方を僕も目指しているのですが、泥臭く目指すことや求めること、その過程だって意味のある美しいことなのではないかと改めて最近思い始めている。

塾講師のバイトをしていた大学時代、毎年冬のこの時期にNU茶屋町の隣の神社にお参りしていた。そして教え子たちに「受かるようにお願いするのはズルなので、君たちが挫けず努力し悔いなく全力を出せるように、ただそれだけを願ってお参りしたからね」と伝えた。僕自身、センター試験5日前にインフルエンザにかかってしまい志望校を変える不完全燃焼の体験者なので合格・不合格という結果よりも完全燃焼で終わってほしい、悔いのない経験であってほしい、塾長ではなくバイトだからこんな甘っちょろい考え方かもしれないけどとにかく心からそう思っていた。当時の生徒たちは皆大学生になって大人になろうとしている。悔いの無い人生を泥臭く求める行為そのものに意味を見出して生きていたいし、その過程を記録した日記のメインになっていくものも「泥臭い生活に潜む美しさ」になっていくのだと思う。

 

ゴーダ哲学堂 (竹書房文庫 GY 8)

ゴーダ哲学堂 (竹書房文庫 GY 8)

  • 作者:業田 良家
  • 発売日: 2007/08/24
  • メディア: 文庫