西伊豆逃亡記 2日目

朝7時半に宿をチェックアウトし、電車で修善寺温泉へ向かった。修善寺温泉は観光地として有名でありコロナ禍を考えると少し怖い。そこで朝早い時間に修善寺温泉へやってきたのだが、逆に朝早すぎてすることが無い。修善寺にお参りして足湯に浸かったら大人しく西伊豆の松崎という町へ向かった。修善寺から松崎へはバスで100分。めまいも治らぬままのらりくらりと駿河湾の風景を眺めながら南下した。

つげ義春の漫画『長八の宿』の舞台となった松崎は以前から訪れたい場所だった。江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した松崎出身の名工、入江長八の作品が残る旅館宿「山光荘」をモデルに『長八の宿』のストーリーが展開される(実際につげ義春も山光荘に宿泊したことがある)。松崎では伊豆の長八美術館と山光荘に向かった。入江長八は独特な経歴の左官職人で、左官棟梁に弟子入りした後、江戸で狩野派の喜多武清から絵画や彫刻を学んでいる。そして、絵画や彫刻技法を漆喰細工に応用し、従来は建物の外観を装飾する目的で漆喰壁に鏝(こて)で模様を描いていたものを、絵具で彩色して新たな芸術表現を切り開いた。美術館に入ると鑑賞者用に虫眼鏡が置かれている。虫眼鏡で作品を覗いてみると、本当に鏝を用いたのかと不思議になる程緻密に描かれている。また、漆喰を使っているため絵が立体的になり陰影やエッジが強調される。特に雨を表現する線が非常に鋭く、自然の荒々しさがキリッと描かれているように感じた。一方で平安時代の貴族の女性を描いた作品などは丸々とした表現で柔らかく、鏝でここまで表現に差をつけられるものなのかと感動した。作品を鑑賞し松崎名物のなまこ壁の作り方などを学んだ後にショップに行くと、なんとGoToキャンペーンのクーポンが使えるのだそうだ!迷わず入江長八の作品に関する書籍を購入した。山光荘は内部に入れなかったものの、入口の門から覗く光景が約50年前の漫画で描かれたものと変わらず、ああ来てよかったなあと心から思った。

その後、バスで引き返して風光明媚な観光地の堂ヶ島へやってきた。太平洋に沈んでいく夕日が絶景だった。堂ヶ島で早めの夕食としてお寿司を食べていると、大将からどこ出身なのと聞かれ大阪出身と答えると、絶対嘘だと怪しまれた。僕は幼い頃に謎のイントネーションを身につけてしまい、バイト先の塾のとある教え子から「イナカモン」というあだ名がつけられた。たちの悪い教え子というのはやはり少しはいるのだが、この教え子の場合はいくら大阪出身と言っても信じてくれず、正月や夏休みになると徳島へ帰省するのか田舎へ帰れと何回も言われた。

さらに北上して宿がある土肥へ向かった。バスを降り宿を目指して夜の海岸をてこてこ歩いていると、ギーギーという不穏な音がどこからともなく聞こえてくる。恐る恐る音の鳴る方へ近づいてみると、公園の広場に出てきた。広場の一角に巨大な花時計がライトアップの光を受けて鎮座していた。花時計をあまり見たことがないのでこんなに大きな音が鳴るのかと驚きながらさらに近づいてみると、なんと花時計の外周が足つぼ遊歩道になっているではないか!ドSマッサージ師Oさんの呪いであろうか、足つぼ遊歩道は地獄の果てまで僕を追いかける。これも何かの縁だと泣く泣く裸足になって遊歩道に足を載せて進むが、花時計が巨大なせいで遊歩道が思ったより長い(後に調べると世界最大の花時計だそうだ)。昨日体験した地獄よりまだマシなもののあちこち観光してヘトヘトの僕にトドメを刺す一撃である。誰もいない夜の公園で一人苦悶の表情を滲ませていた。満身創痍で一周して宿にチェックインし、お風呂に入ってすぐに爆睡した。