架空のシチュエーション

昨日上司と話していて「小説家はいったいどんな頭脳をしているのか!?」という話題になった。僕なんかは日記を書いているけれども、当然現実世界のストーリーを基にして書いている。ところが小説は架空のストーリーを描かなければならない(私小説というジャンルもあるけど)。架空の登場人物・大まかな物語を考えるとともに、細かな生活の場面・シチュエーションを表現しないといけない。それが無ければ登場人物の心情・行動に説得力が出ない。このことについて、学生時代の僕の経験を基にいろいろ考えていた。

大学2回生の時に建築専攻に配属となり建築設計デザインの授業が始まった。最初のお題は小さなギャラリー、次に住宅、コミュニティセンター。建築物の形態に興味があったので、建築家の作品集などを見たりしながら自分なりにかっこいいと思う作品をぽんぽこ作っていった。

ところが、その次のお題で完全につまづいた。小学校を設計しろと言うのである。明らかに今までのお題よりもスケールが大きくなっている。と同時に、その建物を使う登場人物が膨大になる。いつも通り形態から攻めてみたものの全くしっくり来ない。児童のいきいきした姿が見えてこない。

「かっこいい小学校ってそもそも何...?」

結局不完全燃焼でその課題は終わった。以降、僕は設計の授業の手を抜いて、その分サークルに顔を出すようになった。

この頃から僕たちは「多目的室は無目的室である」ことに気がつき始めた。教室や職員室など主要な部屋から配置していくと、よく空間が余る。仕方ないのでそこを多目的室にしてよくお茶を濁すのであるが、その空間の用途が浮かび上がってこない。いきいきとした光景が見えてこない。そういうわけで架空の、そして細部のシチュエーションを思い描くのは至難の技である。

 

僕が大学院2回生になった時、住宅とコミュニティセンターの設計デザインのTA(ティーチングアシスタント)に任命された。毎回の授業で学生たちが考えてきた案を持ってくるので、それを先生と僕が見てアドバイスを出す。これをエスキースと言う。頭をフル回転させるのでラムネなどの甘味を常時手元に置き、コンセプトや空間の意図・力点を丁寧に把握しながらより良い案になるよう共に考える。エスキースは13時から始まり、時には19時まで延長するほど白熱する。学生たちの案を見ていくと、大きく3タイプのアプローチがあることに気づいた。

  1. 敷地や周辺の形状・風景を基に形態から考えるタイプ
  2. 実際にその建築物を使う人々のストーリー・シチュエーションから考えるタイプ
  3. 建築と社会とのつながり(システム)から考えるタイプ

3番目のシステムから始めるタイプはだいたい挫折する(僕も経験あり)。システムにふさわしい空間を考えるのが実は非常に難しい。そして、システムに集中しすぎて空間を設計する時間が無くて間に合わなかったりする。結局システムと空間がバラバラになった作品になりやすい。

1番目と2番目のアプローチが良いのだけど、それぞれに偏るのも良くない。両輪で進めないといけない。造形とシチュエーションが噛み合わないと作品に説得力が無い。難しい。

ただ、それを乗り越えてとんでもない作品を制作する人が現れる。例えば1階が花屋の家を設計した学生がいる。その家には小さい女の子が住んでいて近所の家にお花を届けるお手伝いをしている。モノトーンの街が花で彩られるとともに、街が少女の生活を見守る。設計した住宅も花に包まれストーリー・シチュエーションに即した空間になっている。彼女が設計した住宅の場合、ストーリー・シチュエーションが空間構成に結びつき、そのまま社会性を有したシステムを生み出している。発表を聞いた時、この人は天才だと正直思った。この人はエスキースの時にもの凄く膨大な敷地周辺の分析資料を持ってくる努力の人であると同時に想像力が豊かである。

猫好きの人のためのシェアハウスを設計した学生も面白かった。猫だけが歩ける細い廊下を設けたりするなど形態がそもそもユニークなんだけど、人間と猫の移動経路をきちんと細かいところまで考えているからこそ生活の細かいシチュエーションがリアリティを持って見えてくる。

 

今振り返ってみて彼らはストーリー・シチュエーションを「想像」でもって組み立てられるノベリストタイプの建築学生なのだと思う。敷地周辺の念入りな取材・分析からストーリーを想像するタイプ。逆に僕みたいなのは現実の事象をドカドカ結びつけて「編集」するエディタータイプの学生なのかもしれない。僕は設計は苦手だけれども、今書いている日記のようにいろんな知識や考えを結びつけて表現するのがたぶん得意である。

という訳でノベリストタイプの人を見てるとやっぱり凄いなあ...と思う。