ダイパキッズの畏怖

2006年発売の『ポケットモンスター ダイヤモンド・パール(通称ダイパ)』を僕は愛してやまない。人生で一番熱中したゲームである。リメイク版の発売を願う声が強く、そしてあまりにも要求がしつこく、Twitterでとうとう揶揄を込めて「ダイパキッズ」という言葉が生まれた。20代後半なのにキッズ。ダイパはもう15年前の作品なのね...リメイクされない限り僕はキッズのままだし、リメイクされたら僕は童心に戻ってキッズになる。

 

本来ポケモンは明るい冒険のストーリーなんだけれどもダイパはとにかく暗い、怖い。恐怖ではなく畏怖の方。スタート画面からしてBGMや絵面が怖い。明るいストーリーの中で、不気味で神秘的な何かが常にまとわりついている。雪深い中を1人突き進む、険しい山の頂を目指す、そういったマップ間移動だけでも自然への畏怖のようなものが溢れている。その意味で実はこれまでにない異様な作品である。

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ダイパの舞台であるシンオウ地方は北海道をモチーフとしている。そして、アイヌの神話や自然崇拝などの要素を随所に盛り込んでいる。中には人間がポケモンを食べて骨をきれいに洗って川へ流すと再生するという神話もある。そうして神のポケモンの眼下に広がる人間とポケモンが共存する世界が描かれている。

続作の『ハートゴールドソウルシルバー』でシンオウ神話関連のイベントが発生するが、ポケモンでは滅多に使われない実写によって神話の世界観を表現している。日常風景から、自然、ミクロな細胞、マクロな銀河へ次々と切り替わっていく演出はポケモンシリーズの中でかなり異質なものである。以前の日記『ポケモンと「私」』に書いたように、今の3D表現とは違い、この頃は2Dドット表現で説明無しに淡々とストーリーが進むので、なお一層崇高で怖い。解釈に答えは無い。なので、ダイパは都市伝説・オカルトの宝庫となっている。


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昨日から柳田國男の『遠野物語』を読んでいて岩手県遠野郷の民話に触れているけれども、なんだかダイパが懐かしくなる。茸を採るため山の奥深くを歩いていたら白鹿や妖怪に出会う話も、ゲームクリア後に突如霧に包まれた森が現れて最深部に進んでいくと伝説のポケモンと対面するのも、本質は同じことだと思う。ダイパは現代っ子が体感できない自然への畏怖・崇拝を、ビジュアル・BGMを駆使しデジタル画面で上手に描き出した作品ではないかと考えている。河合隼雄の『ユング心理学入門』によると世界各国の神話や民話に共通のモチーフがあり、それが生・喪失・悲しみ・歓びなどを暗示しているようである。確かに日本でも遠く離れた場所で似たような奇祭があったりする。という訳で最近は民俗学に関する本にも興味を持ち始めている。リメイク版ダイパが発売されたら、民俗学の視点からリンクする部分をもっと発見できたらいいね。


https://youtu.be/zclS8gJ1vVI