さるぼぼ捜索(2)

2月9日夕方、高山善光寺の門をくぐる。宿をお寺にした理由は、客間が5つのみなのでそもそも宿泊客が少ないこと。お寺だからきっと静かな客しか来ないこと。そして、ホームページを見ると外国人観光客の利用が95%らしく、逆に日本人が日本的空間・生活を体験する絶好の機会なのではないかと思ったからである。f:id:labotekichan:20210211102252j:image

玄関入って左手が本堂で右手が共用のリビングルーム・キッチンとなっていて凄く不思議な感じがする。内装はリフォームされてとても綺麗かつ今風のデザインで良い。自分の部屋に案内されるが、これまた10畳ほどあって広い。しかも庭付き。シャワールームやトイレの部分はリフォームされて綺麗。新古混じっている感じ、やはり不思議。スタッフさん曰く今日の宿泊客は僕だけであるらしい。そしてスタッフさんも18時に帰るそうだ。お寺で1人でお留守番、完全ソーシャルディスタンスになってしまった。写経などの体験コースもあるらしく、座禅にした。

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雪の積もる庭を見ながら石油ストーブで凍った足先を温める。18時頃に夕食の店を探し歩くが、おそらく氷点下、死ぬほど寒い。歯がガタガタするし心臓がキュッとなりそう。結局昼食とは別の高山ラーメンを発見し食べる。身体をとにかく温める。ここの店は背脂が多めでコクがある。帰りのコンビニで酒を買わずに、難消化性デキストリンが含まれて脂肪吸収を抑えるサイダーを買う。これで太らないだろう、たぶん。自室に戻って暗い中で本を読む。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の感じを思い出すが、あちらはもっと仄暗いような感じがする。読んだのが昔なのでうろ覚えになっている。また今度読み直すか。うとうとしてきたので早めに寝た。f:id:labotekichan:20210211102319j:image

翌朝早めに起きる。高山の朝は猛烈に寒い。電気敷き毛布が無ければ凍っていた。歯磨きして顔を洗うが手がかじかむ。

午前7時、本堂の朝の勤行に参加する。とても広い本堂に住職さんと僕の2人。僕の座布団の前に般若心経が置かれている。住職から焼香の作法や般若心経が始まるタイミングなど丁寧に教えていただく。いざ30分ほど読経する。読経が終わって住職と話すが、もう人生相談の域である。病気になっちゃったことや今日何故このお寺にやってきたのかなどを伝える。いろいろ話し合って住職からのアドバイスは主に2点。

1点目は「ON・OFFをはっきり決めすぎない」こと。社会システムのリズムと自分のリズムは本来別の動きをするはずなのに、無理に社会システムの方に合わせるのがよろしくないということである。どこかでボロが出る。一番良いのは「晴耕雨読」のような緩やかなリズム感である。現代社会においてそれを体現することは非常に難しいが、意識するだけでもかなり違うと仰っていた。

近代化の中で、労働に美徳を感じる日本社会に西洋的労働システムが入ってくる(西洋人は労働がそんなに好きじゃない)。高度経済成長期の頃は仕事をすれば真新しいテレビが買えるといった目に見える量的な成長が、労働のモチベーションや生活の拠り所であった。しかし、物が飽和した現代において何が拠り所になるのかという点から徐々に躓きが生じてくる。そういうこともあって、仏教でもキリスト教でもなんでも、宗教・心理学などの古典から自分に合うと思ったエッセンスを学んで内面に向き合っていくのがやはり大切だそうだ。数十年しか生きていない僕にわからないことは、数百年かけて継がれた古典にヒントがある。

2点目は「人生どうとでもなる」こと。住職は元々サラリーマンで、それから仏教を学び高野山に登って修行し、今は高山善光寺にいらっしゃる。仏教を学び出す前のエピソードの数々についてお聞きし、胸が締め付けられるような思いになる。しかし、それを踏まえて人生どうとでもなると今ここで笑顔で仰る姿には説得力が溢れている。住職曰く般若心経は漢文で難しそうに見えるが、「人生どうとでもなるで、大丈夫大丈夫、心配するな、任せとけ。」と書いているらしい。そして数々の天才秀才が般若心経に挑み、そして現代も変わらず受け継がれている。ということは経験則的にその内容が正しいのである。n=1,2,3みたいな数学的帰納法の感じで正しさを証明されるとは思わなかった。

仏教では八正道という8つの実践を通して悟りが開くとされる。実践自体は正しくものを見るなど非常にシンプル、それ故に非常に難しい。ただ、日々の生活で正しく生きようと心がけることで物事に対して真摯な姿勢になっていくとのことである。現代人はそれだけでも十分。そしてさらに興味が湧いてきた人は仏教オタクになるために僧侶になって修行するのだそうだ。とにかく今は道が見えてなくても、正しい心構えで突き進めば数年経って振り返ると道ができているのである。住職の人生がそれを物語っている。という訳で人生どうとでもなるのである。

 

その後、座禅のやり方を学び20分間座ってみる。雑念が浮かんでは弾けるが、物凄くリラックスしている。あっという間の20分。こうやってやるのか!ということだらけ。さらに座禅の副作用の面も教えていただいた。これにて安心できる。

 

最後にご戒壇巡りにチャレンジする。本堂から地下に階段があり、真っ暗な地下迷路が広がっている。暗闇の中を手探りで進み、秘仏の御本尊様の真下にある錠前に触れると極楽浄土に行けるとのことである(暗闇の中で自分の考えを客観視する実験としての性質もあるらしい)。早速地下に潜るが、僕は暗所恐怖症である。幼い頃からディズニーランドでわんわん泣くような人間であり、めちゃくちゃ怖い。一本道だがくねくねしている。恐る恐る進む。「どこやぁ...」と思わず声が出る。しばらく壁に手を当て進んでいくと、いきなりヒヤリとした金属の感触がある。慌てて両手で握るとガチャガチャと音が鳴る。これだ!いやー無事見つけることができて安心安心。と思ったが、錠前からさらに歩いても出口が見えない。パニックになる。嘘でしょと思いながら必死に進むとやっと出口が見えた。無事帰還できてホッとした。ご戒壇巡りは客観視の体験、座禅は客観視の脳トレらしい。

2時間以上も一緒にお話させていただいた。これにて住職さんとはお別れ。コロナ禍が落ち着いた頃にまた訪れたい、本当に貴重な経験だった。チェックアウトしてお寺の門をくぐる僕には「人生どうとでなるわい!」という気がひしひしと溢れていた。

 

有名な宮川朝市も店が5つほどしかなく非常に寂しい。観光客がほとんどいないこの街で僕がすることは1つ。白黒のさるぼぼを買って帰ろう。と思ったが、昨日と同様にお土産屋が軒並み閉まっている。かろうじて開いていた店で探すが、白色が無く黒色と銀色である。躁が輝いてしまう!もう少し粘って探してみるが見つからない。歩き疲れてふらっと高山ラーメン狂気の3杯目を食べる始末。結局、諦めて黒色と銀色のさるぼぼにした。甘酒と漬物ステーキを購入し、正午足早に高山を去る。買ってきたどぶろく缶を飲みながら流れる前面の景色を眺める。ゆらりと川沿いを下り自宅に帰った。

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このような形でなるべくソーシャルディスタンスを追求した旅行を敢行した。今旅行していいのかという批判も当然あるだろう。しかし、現代のシステムの中でこころを病んでしまった1人の人間が、見知らぬ静かな街に潜んで古来の日本的空間・生活に身を置き安寧の姿を孤独に探し求める、これは今回の実験的旅行の十分な理由になるのではないかと信じている。そして、緊急事態宣言下の中で何を見て何を聞き何を感じたか、後世に継ぐ責任があると思い今回このように記録する。間違いなく我々は後にコロナ禍の語り部となる。

現代のシステム・価値観と自分の病・変わってしまった価値観をどう融合していくかを考えていく必要がある。そればっかり言っている、そればっかり模索している。実験的旅行のその後、僕がどのような人生を歩んでいくかは追って書き残していく。


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