定点観測者宣言

1つ、発見がある。鬱の時も躁の時も安定して「考えること」、そして「日記に記録すること」ができる点に気づいた。すなわち、僕は「考える屋さん」や「記録する屋さん」になれるということだ。

 

僕の中には楽観的、悲観的、客観的な視点を持つ3人の僕がいる。日記を書くことを通して3人は自分自身の内面に深く潜っていき、それを他者に共有し、時にはSOSを出す。日常の中で考えて、日記を書くことは僕の生存方法だ、病気や死の恐怖との向き合い方だ。多面体のうちの僕という一面を記録していく感じ。そこには自分でも知らない世界、無意識の気づきがある。爆問学問で太田光が「自己表現こそ人間の本質」と言っていた。日記を書くことは僕が僕であるための営み、そこには譲れない面白さがある。

双極性障害には「完治」という言葉はあまり使われない。代わりに「寛解」という言葉を使う。寛解とは完治とまでは言えないが、病状が治まって穏やかであることという意味である。裏を返せば、再発する可能性は大いにある。寛解の状態になってから数年経った頃に急に再発することもあるらしい。数年という時間は、病気を乗りこなす細やかなコツを忘れるには十分な期間である。もう一度手探りの苦しい時間が始まる。生涯にわたって油断ならないのがこの病気の恐ろしい点だ。それを考慮すると、躁と鬱が落ち着いた寛解期間においても自分が何を考えているのかメタ認知してコツコツ日記を書く必要があると考えている。

さて、最近Amazonを眺めて双極性障害の当事者が書いた本があまりに少ないことに気づいた。そもそも躁鬱を抱えた状態でコツコツコンスタントに文章を書くことができる人は少ないのかもしれない。電子書籍で個人が出版したようなものはあるっちゃあるのだが、だいたい寛解したタイミングで書かれたもののようである。これも少し怖いなと思うことがあって、病気発覚が「起」、寛解が「結」のような起承転結のフォーマットに無理やり押し込められてないか心配に思ったりする。大小様々な波とともにもっと心が揺さぶられる病気であり、終わりなき病を起承転結でツルッと書いてしまうと誤解を招くのではないかという気がする。例えば、本では著者がこの方法で治っているのに、おまえは治ってないじゃないかみたいな他人からの抑圧の発生だとか。そう思うとリアルタイムで波を記録する日記形式が良いと思う。ところが、日記形式となると坂口恭平さんの『坂口恭平躁鬱日記』や『幸福な絶望』ぐらいしかない。基本的に坂口作品一強である。また、坂口さんには良き理解者である奥さんのフーさんと子どものアオちゃんとゲンくんという絶大な存在がいらっしゃる。そういう訳で、まだ読んでいる途中ではあるけれども、坂口さんと僕の病気との向き合い方は結構違うと思う。そして、Amazonが坂口作品一強なのもバランスがちょっと悪いんじゃないかという気もする(他の作品で結婚する前の頃の病状について語っているかもしれないが)。普通の一人暮らしてきちゃんの漂流日記だって立派な実例になりえると思う。情報を求める人に提示されるエピソードは十人十色、様々な実例・ケースが並んでいるほうが良い。

意外とみんな双極性障害のことを知らないなと病気になってからよく感じた。そもそも僕もよく知らなかったが。みんなが知らない世界をユニークに共有すること、そこに漂流日記の強度はあると思っている。まじめにふまじめ、ほのぼの、時にはピシッと書く。日記によって多面体のうちの一面を提示して、僕と他者と社会を繋いでいく。双極性障害の方には日記の中に何か1つでも参考になりそうなことがあれば、当事者の家族・友人には当事者の関わり方などで何か気づきがあれば嬉しい。双極性障害を知らない人にはまず知ってもらえるだけで嬉しい。そういう意味でみんなにとって大切なことを書けたんじゃないかなあという自信はほんの少しだけある。

 

以上を踏まえて、「考える屋さん」「記録する屋さん」を言い換えて、日々を見つめて感情の波をコツコツ記録する「定点観測者」を本業にすることに決めた。記録し続けないと上記のように命が危険に晒されることから生存戦略という意味での生業になってしまうので、お金を稼ぐ今の職業よりも定点観測者が本業となるのである。前例の有無なんて気にしない。日常に言葉の楔を淡々と打ち込んでいく。もちろん、今いる会社のことを忘れるわけではない。会社からは非常勤での勤務などをご提案いただいたので慎重に検討する必要がある(大阪に行くか名古屋に残るかという難題はあるが)。

定点観測して得たデータ(日記)はきりがいいところで編集・製本して販売する。商業出版を目指せとよく言われるが、仕組みが全くわからない。BOOTHなどのネットのサービスを使って自分で通販できるらしいが、そのあたりは未定。ただ、下北沢に日記専門店があるのでそこでの販売をひとまずの目標とする。

 

日記販売は正直お金どうこうというより、まずは仲間探しの意味合いが強い。多面体の面がぶつかる感触を味わいたい。そして、1人じゃやっぱりしんどいというSOSの面もある。「本・ひとしずく」さんの開店に向けたお手伝いをちょこっとしたりするけれども、やっぱりそういうつながりは楽しい。開店後のワークショップにも顔を出したいなあ。内面を見つめてコツコツ日記を書く日常に、突如彗星のように飛んできた外的要因が接触して思考がどんどん洗練されていく感じ、三人寄れば文殊の知恵。そういう出会い、セレンディピティを寝っ転がりつつ戦略的に追い求めたい。

 

ただ、仲間を見つけたその先に、何かをやらかそうとして1つ問題が残る。物事のステップとして、

1.考える・企画する

2.実行する

3.記録する・改善する

があると思う(PDCAサイクルとはあえて違う書き方にしたが)。双極性障害の抱えた僕には「実行する」がどうしても体力的にかなりしんどい。めまいを抱えているし安定しない。「考える屋さん」「記録する屋さん」だからといって1と3のステップだけに関わるのはどうなんだという気がする。もちろん、他者の手を借りればいいのであるが、無策のままではいけない。そういう意味で人生に病名がついて回るから、上手な立ち振る舞いが必要であるし、「考える」と「記録する」に能力値を全部捧げたピーキー人間のセルフブランディングが必要となるのかなという気がする。復職するにしても転職するにしても。

 

そんなことをコメダクロッキー帳広げて考えていました。めまいに苦しむ日も多くまだまだ振り回されてばかりですが、双極性障害の「定点観測者」という職(?)になる、戦略的に双極性障害の世界を楽しむという宣言です。


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