フラワー・ガーデン

めまいで吐きそうだとしても、別にどうということはない。よっぽどのことがない限りめまいで死ぬことはない。最悪くらっとして吐くくらいである。そう開き直ってめまいがあっても落ち込まなくなった。

おそらく、躁を抜けた僕は鬱の下り坂に差し掛かっている。でも、不安は特に無い。ダウナーの鬱を自分ではなく周囲の面白そうなものに差し向ける。自分を深く見過ぎると考え込んで気分が落ち込むので、見ない。好奇心を持って周りを見る。そうすると、物事を静かに落ち着いて見ることができる。客観視になる、そう気づいた。鬱の負のエネルギーを上手く使えば、明鏡止水、明晰な思考が宿る。躁も鬱も使い方次第で非常に役に立つ。

 

地元大阪に昨日帰ってきた。1月にマインドフルネスの原著を教えてくれたサークルの後輩に久々に会う。1月にした約束の通り大学前の天下一品に行く。スープライスセットを頼む。ごはんに明太子がデーンとのってて、そこにれんげでスープをかけて食べる。最強。ここの天下一品が一番うまい。

 

それからコメダでいろいろ話す。対談だ。

まずは双極性障害の話題になったけど、僕は別に病気とは正直思っていない。弱みも強みも含めて個性である。いつめまいや不眠が起きるかわからない。だが、裏を返せば、明日がわからないから面白い、そういう一面が確かに存在する。双極性障害を愛おしく思っている。寝ている間に値がカタカタとランダムで入力されて、朝起きたら能力値が決まっている感じ。昨日は散歩が得意な機動力タイプだったのに、今日はホームランバッターじゃんみたいな。明日どうなるかわからないから、元気な今日にちゃんと買い物したりする。そういう意味で今日という一日を最後の一滴まで使っている感じはする。生を感じる。双極性障害は心の病か脳の病かという議論があるようだが、僕の答えは「脳の病を、薬のアシストを得て、心で仲良くなる」である。おそらく答えは人それぞれであるが。

 

話題は日記のことに移る。内容をお褒めいただき嬉しい。本や歌詞から引用された言葉が、僕が書いた前後の文章とシームレスに繋がっているのがわかりやすいとおっしゃっていて、ああ、その視点は気づいていなかったと思った。確かに繋ぎ目が歪な文って世の中多いわ、一層気をつけよう。

今、時系列に整理した日記形式のまま本を作ったりしている。おかげさまで、本屋さんでの販売も決まった。一方で、「散歩」「旅行」みたいなテーマで編集してもいいんじゃないかとアドバイスいただいた。最近そこに悩んでて、その通りなんですよー。僕の書く文章は日記だし、エッセイだし、ちょっとした評論になってるかもしれないし結構ジャンルレスだと思っている。ただやっているのは日常を見て思考すること、それだけ。思考の表現方法が日記のほうが適していると思ったら日記だし、エッセイのほうが良いなと思ったらエッセイにするし、そんな感じ。日常に時系列の横串とテーマの縦串を刺す感じ。いずれにせよ、良き理解者となる編集者に出会えればいいねという話になった。双極性障害のリアルを伝えつつ、日記文学・エッセイとしての強度があるものを、欲張りだけど妥協せずに創作したい。今後の展望は一応あって、しばらく放置していたYoutubeのMV(ミュージック・ビデオ)を紹介する『MV学概論』(全15回中3回は既にブログにて投稿)、あれが15回全て終わったら本にする。まえがきにQRコードを載せて各回のMVを整理した再生リストに飛べるようにする。Youtubeを見ながら本を読むという変なことをしたい。面白そうだと思うんだけどねえ。

 

次はものづくりのプロセスの話になった。僕はC・オットー・シャーマーの『U理論』という本を紹介した。抽象的でわかりづらいかもしれないけど面白いんです、この本。U字型の断崖絶壁がある。その崖は環境問題、精神分裂、社会問題・戦争といった様々な分断である。僕らはU字の左側に立っている。右側には分断を乗り越えた先の新しい未来が見えている。さて、どのようなプロセスでイノベーションを起こし、崖の右側に立つのか。そういう内容の本である。

そして、この本のマジで面白い点、イノベーションを起こすプロセスの形態もU字型なのである!ざっと説明すると、

①まずは対象を徹底的に観察する。偏見無き目で観察(U字の左側をなぞる、下に深く潜るイメージ)。

②そして、観察し尽くしたら一歩引いて内省する。何かこうしたらいい感じかもねという考えが天から降りてくる(U字の真ん中に来て漂う、何かが来るのを待つイメージ)。

③降りた瞬間すぐプロトタイプを作ったりして行動に移す(U字の右側を加速しながら浮上するイメージ)。

天から降りてくる、これはスピリチュアルに聞こえるけれど「時間が解決する」と言ってもいいかもしれない。外山滋比古の『思考の整理学』でも、アイデアの生み出し方について、ワインの発酵に例えて「寝かせる」という表現を用いていた。夢中に観察していたものをちょっと手放す、しばらく経って新鮮な気持ちで見直す、そういう時間が必要である。

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 

僕の例も挙げてみる。昨年12月から日記を書き始め、双極性障害の定点観測を始める。徹底的に観察して、2月の飛騨高山のお寺の住職さんとの人生相談のあたりで、人生どうとでもなりそうな気がした。ちょうどその頃に個人が出版する書籍「リトルプレス」の存在を知り、知ってから1日で日記を編集して本のプロトタイプを作り、さらに次の日には本が完成していた。2日で校正・編集・製本をやってのけた。こんな感じである。U字型のプロセスの左側が鬱、右側が躁である。躁の止め方がわからず不眠になったのは反省だけど、躁鬱カーブとU理論のU字の形状を重ね合わせれば、双極性障害も面白い使い方ができるのである。下に深くゆっくり潜って、漂い、何かが見えたらとにかく作ってみる。緩急がそこにはある。作ってさらにブラッシュアップする。そう試行錯誤していくと、「社会のここっておかしくない?どうしたら改善できてみんなの暮らしが楽になるだろう?」と思ったりする。好奇心・面白さに突き動かされて進んでいたら、いつの間にか後付けで社会的意義を持っていたりする。

冒頭にも書いたように、鬱も上手く使えば役に立つと考えている。窪塚洋介主演の『ピンポン』という映画がある。窪塚洋介演じる主人公のペコが白いピンポン玉の海の中で漂う心理描写があるけれど、僕は鬱をこんな感じのイメージで捉えている。沈んだ海から這い出たら覚醒したペコの「反応反射音速光速、もっと速く、もっと!」の台詞のように躁がやってくる。躁の止め方はまだわからないけど。


Ping Pong - YouTube

 

最後に、自己とは何か、自己との向き合い方という話になった。

そもそも自己とは何か。僕は大学院の講義で学んだことを基本的には踏襲して捉えている。その内容は「自分自身だけが自己じゃない」、そして「自己とはタンポポの花のような形状をしている」である。

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中心に自分自身がいるとして、たくさんの花びらが外部めがけて向かっていく。この花びら1枚1枚は外的要因(他者)との関係を示す。例えば、花びらの上に、僕と弟、僕と親友、僕と最寄り駅の駅員さん、いろいろな関係が1つ1つ載っている。人間関係だけではなく、本、音楽、建築、街といった事象との関係ももちろんある。

それぞれの花びらの中では対話を通して「同期」と「フィードバック」が行われる。つまり、自分の考えを自分の言葉で相手に伝えて、相手に自分の考えが染み込む同期(シンクロ)、それを経た相手の反応(良くも悪くも)を見て、フィードバックとなって自分に影響を与える。この同期とフィードバックのサイクル、与え合うサイクルを通して自分の思考の領域がどんどん拡張されていく。そして、自己のブラッシュアップが進んでいく。自己とは自分自身だけじゃない、相手との関係性まで含めた、同期とフィードバックを繰り返すシステムが自己である。

例えば、僕がうっかり死んじゃったとする。僕の思考はここで途絶えるかというとそうではない、塾講師バイトとか大学のTA(ティーチング・アシスタント)で面倒見た教え子にある種のてきちゃんイズムは残っているはずである。「あの先生のこの話が印象に残ってる!」か「あの先生雑談長すぎだわ...」のどっちなのかは知らんけど...ともかく周囲との関係性を含めて自分であり、死後も思考が残り続けるならば、どうせなら周りに良い影響を与え続けたい。そういう訳で今現在死ぬ気は全く無い。

みんながそれぞれ中心となった花を持っているので、当然花びらが複雑に重なっていく。そうなると、世界はつまり広大なタンポポ畑の構造をしている。ネットワーク的である。

肝心の自己との向き合い方であるが、同期を通して他者に自分の思考が移っているのだから、他者と向き合うことが自己と向き合うことになる。人との会話、読書、その他いろいろでインプットして咀嚼してアウトプットするだけでも、知らず知らずに自己と十分向き合っているんじゃないかと思う。先入観無く周囲に心を開くこと、難しいけれども結局これが何よりも大切なことに違いない。

ここからが昨日話しながら新たに気づいた点であるが、僕は過去と未来と対話できる。要は、本を相手に同期とフィードバックが発生するなら、日記を読んで過去の自分に邂逅することができる。そして、日記に「今日はしんどい無理、明日洗濯よろしくね」なんて書いておけば未来の自分が洗濯してくれるはず。つまり、過去の自分からフィードバックして、咀嚼した現在の自分の思考を、未来の自分めがけて同期させるのである。そんなSFじみたことは意外とシンプルなギミックで可能である。ラーメンズのコント『時間電話』を是非。


ラーメンズ『椿』より「時間電話」 - YouTube

そんなトークを時には言葉をひねり出して悩みながら楽しんだ。彼は音楽家なんだけど、建築を学んだ僕とアプローチが全然違うかったりして面白い。悩みながら言語化して対話するのはやっぱり大切だ。

 

そういえば、最近会社から非常勤で働いてみるのもどうですかと提案いただき、どういうプロジェクトが動こうとしているのかざっくりと教えていただいた。魅力的な「場」をどうやって作るかというプロジェクトであった。風景が美しいとかそういうのも大事だけど、一番大切なのはその場で人やモノがどう主体性を持って繋がっていくかである。要はタンポポ畑を街にどうやって作るのか、人を主体的に巻き込むギミック(仕掛け学と言ったりするけど)をどう展開するかを考える必要がある。

昨年渋谷の宮下公園にできたMIYASHITA PARKは最悪だった。多様性をモットーにしているけれども、プランナーから与えられた多様性はユーザーにとっては多様性ではない。ごちゃつくだけだ。公園にやってきた人間が偶発的に何か面白いことをやらかす余地・バッファが無い。みんな芝生で内輪のトークをしながらスタバのフラペチーノを飲んでいる。トレンドと資本に操られている。声をかけるナンパ師は偶発的であってもそれは多様性・豊かさではない。タンポポ畑が自発的に成長しない。

カフェインを摂りたくないという理由で、コメダで僕たち2人はメロンソーダを飲んでいた。そうしたら、隣のおばちゃんがコーヒーを頼んでいたのに急いで店員さんを呼んでメロンソーダに変更した。僕らのテーブルを見てメロンソーダを飲みたくなっちゃったんだろう。こういうのがセレンディピティとか言う予想外の出会いで、面白いはずなのよ。

他にも言いたいことは山ほどあるが、そういう悪手の事例が発生した以上、僕らはタンポポ畑の作り方という感覚により意識的にならないといけないと思う。

僕は日記を書くことを続ける。僕の周りの人と言葉で対話して自己のタンポポをより良いものにする。時には日記を本にして綿毛のように遠くの畑に飛ばす。フラワー・ガーデンの感覚を持っている。そこに会社のプロジェクトでの気づき・学びが入ってくるとどうなっていくのか、それが凄く面白そうに感じる。「場」を作ること。双極性障害タンポポ畑がより外部に開けることで、双極性障害と診断され悩む躁鬱初心者もすぐに安心できるような社会が訪れるかもしれない。そういうことを生涯かけて僕はしたい。

 

(追記)

周囲の事象に熱中して疲れ果てる躁、自己に目線が向きすぎて追い込んでしまう鬱。これを目標めがけて自己表現に熱中する躁、周囲の事象に目線が向いて面白さ・本質を静かに見出す鬱へ転換するのが双極性障害の爆発的エネルギーを有効活用する方法だと考えている(あくまでも僕にとっては。これが全てじゃない)。未だよくわかっていない躁のブレーキのかけ方さえわかれば最強なんだけど。