普通な憂鬱

また、自分の感情の居場所がどこなのか見失った、不時着した。朝から元気、健康、絶好調だ。昼寝する時間も惜しいくらい、そわそわする。生き急いでいる感じがする。めまいも特に感じない。逆に不安になる。

起きてから今まで何をしただろう、めっちゃアクティブだったな。Youtubeでニュースを見て、洗濯して、資格の勉強を2時間弱した。それから、近所の店で高浜町の「フジモテキ」用にコインケースやブックエンドを買って、駅前の銀行で釣銭用に両替してきた。うまかっちゃんを食べて、スーパーで買い物して、散らかっていた本を本棚へ片付けながらフリマに持っていく本を選定した。そして、料理をして、30分ストレッチして、お風呂に入って、

 

今からゆっくりごほうびに本を読もうと思った。

 

でも、ごほうびの読書のはずなのにそわそわして全くページが進まない。急かされている訳でもないのに、読まなきゃ読まなきゃと気持ちが逸る。それなのに字が頭に全く入ってこない。読みやすいワクワクする本でいつもつらつらと読めるのに!頑張って10ページほど読んだが今日は断念した。本は頑張って読むもんじゃないと反省した。

 

生活の緩急が静かに崩れていくように感じる。資格の勉強(毎日25ページ目標)で焦っているのか。確かに1日2時間くらい勉強し続けているが結構体力を持ってかれる感ある。今年はできる時にテキストを読むだけにして、来年受けるでも十分いいと思うよ。決めた、今年は受験しない!今、決めた。焦らずゆっくり行こうよ。

読書をやめて、今パソコンに向かって日記を書いている。躁転しちゃったのだろうか。でも、躁なのに不安を抱えたままだ。盆と正月が一緒に来る感じで、躁と鬱が一緒に来ると結構ヤバい状態だったはず、ピンチ。復職プランもクロッキー帳に書きたいけれども、復職してその存在が受け入れられるかがやっぱり不安になり書く気になれない。何がトリガーとなって精神が乱高下するのかよくわからないので、怖くなる。明らかに今までの生活で一番身体が動いているが、止め方がわからない。僕の視点ではそう思う。でも他の人からしたら、例えば休職する前の僕だったらどうだろう。これでやっと普通の活動量、足りないくらいかもしれない。普通がわからなくなっていく。よくわからないけど僕は元気なので、「双極性障害じゃないんじゃない?」なんてたまに思ってしまうこともある。双極性障害なんですけれども。書いているこの日記の文も、いつもよりとりとめのない感じがする。とっ散らかってる。

 

「普通」に動けているのが怖い。操縦できているのに操縦不能な感じが凄く気持ち悪い。周囲との「普通」の温度差も怖い。他人からは確実に見えない病。「普通ってなんだろう?」と頭の中で疑問が駆け巡るが、自分の中では答えは決まっている。

 

「普通という概念なんて捨ててもいいでしょ。」

 

というか、もはやそうするしかない気がする。周りの「普通」に合わせても、もうどうしようもない気がする。アブノーマルでいいし、面白い・心地よい・穏やかだと感じる方向へ突き進むしかない。僕が生きていく方法はそれしかないよ。周りの目なんか気にしてもしかたないよ。でも、その勇気が今一つ湧いてこない。ひとまず、精神的負担のかかる習慣を遠ざけよう。

よくわからない気持ちになってきた。今は活動休止しているけれども本当に大好きなシンガーソングライターである転校生の『あそぼう』という曲を聴く。僕の一番好きな曲。一度だけ見たことのあるライブのラストの曲。何度も助けられた曲。今日も味方になってください。

 

【歌詞の引用】

引き金をひいた 終わりたいぼくらの

毎日は終わらないな

流れ弾の雨 傘もささないで いっしょに

間違いだらけのどうしようもない

ぼくらの毎日は続いていくよ

流れるなみだも そのままにして

明日もあそぼう

【音源】

https://osousiki.tumblr.com/post/128853981189/あそぼうdemo-今更ですが歌いました

【歌詞】

さよなら — あそぼう (tumblr.com)