正体不明の人

9枚綴りで3,300円。これがコメダの前売り回数券。ドリンクだけでなくモーニングも付いてくるから素晴らしい。モーニングを食べてパソコンで作業したり、本の文字にかじりついたりしている。

 

あんまりにもコメダに行くものだから、席についたら店員さんに「アイスオーレで?」と先回りして聞かれるようになる。「いつもの」で通じる関係になった。しかし、本音を言うと、ごくたまにメロンソーダを飲みたい時がある。でも、メロンソーダを今更頼むと、知らず知らずにできあがった関係性が無に帰してしまう。だからアイスオーレを頼む。

 

「あの人はたぶん作家か学者だと思います」

 

厨房から確かに聞こえた。周りを見渡す。客は僕しかいない。平日の朝に現れて本を睨んでいるものだから店員さんに学者と思われている。バンドTシャツで平日朝からのんびりしている学者なんかいるものかと思うのだが、思われているのだから仕方がない。このようにして、益々メロンソーダを飲みながらギャグ漫画を読むコメダライフが遠ざかっていったのだった。

 

 

夕食後に電子機器を一切使わない作戦は功を奏した。中途覚醒はあるものの、数年ぶりの快眠を手に入れた。精神も凪のように穏やかで、躁鬱なんてどこか遠くへ飛んでしまった。

 

それでは、一体今の僕は誰でしょう。

 

それが気になってくる。黒色と白色が無くなった僕をどう捉えるべきか。まずは遡って考えてみようと思った。

双極性障害と診断されたのは昨年だが、20歳の頃から症状を自覚している。ただ、その症状をずっと性格によるものである、自分のせいであると思っていたので病院に行かなかった。そういうものと諦めていた。自分の性格の内に症状があるイメージ。

これが診断によって病気と判明したから、性格と病気は切り離され、症状は経験とともに観察対象という側面も持ちとなり、具体的な事柄を客観的に日記に残すことができたという訳である。今はなんとかなるやろ精神で過ごしている。

大学受験期や小中学校の頃もかなりの気分屋・サボり魔だった。そう考えると、残すは高校1・2年の時か。でも、その頃も部活引退の色紙に「破天荒」、「クレイジー」、「頭がおかしい」とたくさん書かれていたので、ちょっと怪しい。

高1のクラスが「お笑い芸人養成学校」みたいな雰囲気で皆が皆ボケにボケまくる感じだったので、僕もそれに飲み込まれたのだろう。

 

昼休みに8人くらいで「クイズ・ミリオネアごっこ」をしていた。みのもんた、ゲスト、テレフォン、CMの役職が各々に割り振られる。

みのもんたはゲストに問題を出すが、例えばゲストが黒柳徹子という設定だと、ゲスト役は黒柳徹子のモノマネをずっとしなければならない。

ゲスト役は好きなタイミングでテレフォンを宣言でき、電話でテレフォン役に問題の答えを教えてもらうことができる。ゲスト役が今日のテレフォンが誰かを設定できるが、なぜかほぼ毎回女優の北乃きいになる。テレフォン役は北乃きいのモノマネをしなければならない。

みのもんたがコマーシャルを宣言すると、CM役2〜3名が即興でCMをする。

 

大火傷しかしない、誰も得しない無茶振りだらけの地獄の遊びをしていた。ちなみに文化祭の出し物は吉本新喜劇であり、僕はクラスメイトが繰り出すボケ全てにツッコミを入れる悲しきツッコミマシーンと化していた(僕はどちらかというとボケなのに...)。

 

今の僕がお笑いサバイバル時代の精神状態に戻ったとも思えない。だからきっと、精神の進行は不可逆的なもので、今の僕は、昔のどの僕とは異なる僕なのだろう。手に入れたのは大人の落ち着きなのだろうか。そんな訳ないかと思いながらも、とりあえず学者然とした顔で今日もアイスオーレを注文している。味覚がおこちゃまなのでアイスコーヒーは注文しない。