失った真夏について

バスの後ろの座席に座ってぼんやり前方を見ていた。山吹色の手すりが縦横に伸びていて、フレームをいくつも生み出し、複数のレイヤーを構成しているように見える。視界の前方に、フレームのその先に、レイヤーの奥底に外が見える。

降り注ぐ日差しの中で、バスが動くたびに暖かな景色が変化していく。今年も高校の部活メンバーたちが集まる盆休み恒例飲み会・プリクラをしなかったし、花火もしなかった。確かに存在していたのに消えてしまったような夏のことを考えて寂しくなる。大好きなアイドルであるsora tob sakanaのアルバムジャケットを思い出す。去年彼女たちの解散ライブを見たけれど、それはライブビューイングであり映画館でスクリーンに映る彼女たちを見た。酒を飲みたい、プリクラを撮りたい、ライブハウスでライブを見たい、海に行きたい、山へ行きたい、ばあちゃんのイノシシの角煮を食べたい。

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これが最近よく聞く「感傷マゾ」や「虚構エモ」なのかしら。かなりざっくりと捉えると、存在しなかった青春に対する感傷のことらしい。青春を手にしていないことに対するマゾの意識はないので、僕の場合はエモの方なのかな。いや、これらは青春時代の記憶と感傷の話だから、20代後半の僕がコロナで失ったものとは全然違う? きちんとした定義を知らないから調べてみたけれど、いろいろな議論があるらしく明確な答えは出ずのまま。

僕が通っていた大学には今、感傷マゾ研究会があるらしい。そういえば、僕が在学していた頃はテレ朝アナウンサー竹内由恵ちゃん大好きサークルがあった。学園祭の屋台で竹内由恵の写真がバーン!と貼られていたのを思い出す。結婚、退社を機に廃部になったらしいが。

 

バスに乗ってぼーっと風景を眺めながら考えていた。でも、存在しないものに感傷するのもいいけれど、手に入れたものにもたまには目を向けたい、そういう気もする。ここ最近の不思議な生活でお友達もたくさんできたし、本屋さんという居場所もできたし、楽しいこともたくさんある。失った分、いろいろ気づかない内に得ているのだろう。失ったものはコロナが落ち着いたら手にすればいいのさ。

gotch(後藤正文)の『Lost / 喪失』という曲が好きで、こういうことを考えるたびにこの曲がよぎる。

 

【歌詞の引用】

「花びら はらはら

 まるで僕らは初めから

 全てを失うために生まれたみたいだな

 今なら 未だ未だ

 そうさ 僕ら

 この場所から 全てを失うために

 全てを手に入れようぜ ほら」

 

 

でも、手にするのがいつなのか、不透明だから今はもどかしいよね。それでも日々は続いていくから、その中で確かなものを掴み取るしかないのだけれど。

家に帰って竹内由恵ちゃん大好きサークルのTwitterアカウントを見たら、今でもテレビに出演するなど活動があるたびにこっそり更新されていた。きっと、そういうことなんでしょう。

 

 


sora tob sakana/広告の街(2019.7.6 sora tob sakana LIVE TOUR 2019 「天球の地図」@代官山UNIT) - YouTube


広告の街(sora tob sakana)演奏動画 - YouTube

『広告の街』、本当に大好きな1曲なのでぜひ。アイドル史に残る屈指の難曲。今度、後輩がsora tob sakanaコピーバンドをするらしい。いいなあ。

 

 


『LOST』Music Video / 後藤正文 - YouTube