停泊地

僕が倒れてからちょうど1年が経つ。でも、おかげさまでなんとか生き永らえている。よく頑張ったと思う。

率直な感想を言うと、双極性障害、この病気は本当に恐ろしい。昔読んだ病気の解説本には生涯自殺率24%と書かれていたが、僕の体感と照らし合わせてこの値は大きくズレていないと思う。ましてやコロナ禍で塞ぎ込んだこのご時世、もう少し高い値でも違和感は無い。

 

それでも、この1年で双極性障害とともに過ごす方法を僕なりに発見した。それは、僕がいても許されるような居場所をいくつも見つけてそこに佇む。これが基礎となる戦略だ。簡単に思うかもしれない。けれど、居場所に踏み込む、他人を信じることって覚悟まではいかないものの少し勇気がいる。答えは意外と結構シンプルで、シンプルなことほど意外と結構難しい。

2年前の春、就職で大阪から名古屋に引っ越した。名古屋に住んでいる友達はごくわずか。会社の同期や先輩方に仲良くしていただいたが、いざ病気で休職となると、会社に遊びに行くのが恥ずかしい。みんなバリバリ働いているのに僕は、なんてどうしても思っちゃう。会社に誰もいない休日に、書類をこっそり社内便の封筒に入れたりする、今でも。そうして、気軽に遊びに来てもいいよとは言われるものの、やっぱり心のどこかで後ろめたさを感じてしまう。別に会社は何も悪くないのだが、僕の方でそわそわしてしまう。まあ、誰でもそういうものだと思う。職場のみんなにフォローされているInstagramのアカウントでは、今も本を作った話などめったにしない。たぶん、広まっていてほぼ全員にバレてるんだけど。

でも、たまに僕と同じタイミングで休職していた同僚たちとLINEで近況報告したり、オンライン飲みしたりするんだけどね。戦友だよね。お誘いいただいてありがたいです。

 

それはそれとして、好きだった会社という居場所がちょっぴり怖くなった。だけど一方で、2年前の古本市イベント「円頓寺 本・さんぽみち」のボランティアに僕はたまたま参加していた。もう一つの居場所を持っていたこと、これは本当にラッキーなことだった。

読書友達もでき、本屋さんと仲良くなっていた。家にいてもすることがないので、本屋さんに出没するようになる。僕のブログが読まれ、本屋さんたちのアドバイスで日記が手作り本になり、ついにちゃんとした書籍になった。

瀬戸市の本・ひとしずくさんのオープン準備を手伝い、オープン後も度々お店のちゃぶ台に座って納品書や本を確認したりお手伝いした。ちゃぶ台に座っている間に瀬戸のアーティストや作家の方々と仲良くなり、井戸端会議をするようになった。あの居心地の良いちゃぶ台は僕の居場所です。

また、読書ライフが高じて、研究室メンバーでゲリラ古書店フジモテキイグチも結成した。様々な地で本を売り、本について喋り、たくさんの友達と居場所ができた。

恐らく2年前にボランティアに参加していなかったら、恐らく僕は死んでいただろう。もしくは実家に引きこもって、糸口を見つけられないもどかしい日々を送っていたか。もはや糸口を見つける努力もしていないかもしれない。

 

そういうふうに、あちらこちらに僕の停泊地を見つけて、家に引きこもってはもったいないような気がする状態にする。精神が崩れたらSOSの警笛を鳴らす。頭の中を日記に記録して束ねる、そしてオープンにする。結局、それらが僕なりの答えなんだと思う。まあ油断せずに慎重に、というのが大前提ですが。

 

話は少し変わるけれど、就活していた頃から僕は同じことを考え続けている。

仕事のプロジェクトで街を作る。お給料をたんといただく。その街で遊ぶ。遊んでいると、様々な変化に気づき、それが経験に変わっていく。その経験を仕事に活かす。それらのサイクルをぐるぐる回転させて、発展していく街でみんなで遊び尽くす。面接でもこればかり言っていた。

今でもそのフォームは変わらない。今後もそんな思いで働くだろう。でも、休職前のスーパーサイヤ人みたいな働き方はもうできない。実際は新入りのへっぽこなのでかめはめ波も撃てないが。上司は元気玉を撃っていた。

とにかく、このフォームを維持しようと思ったら、取り扱うもののスケール感をちょっと意識しないといけない。大きなものに可能な範囲内で携わるのか、もっと小さな居場所に向き合うのか。そこが復職か転職の境目なのだろう。ただ、コミュニティとはよく言うけれど、それを貨幣価値に換算することがどうしても一筋縄ではいかない。そこは要注意。

それでも、僕を助けてくれた居場所に対する恩返しをしたいという思いはかなり強い。家庭にも学校にも居場所のない女子中学生が本屋と本の世界に居場所を見出す漫画『草子ブックガイド』(玉川重機、講談社)を最近読んでボロボロ泣き、より一層思うようになった。それを仕事にするのか、現在のようなスタイルで続けるのか、様々な選択肢はあるけれど。

でも、どう転ぶにしても、もう歩き出せる状態ではないのかなと思う。ひどく落ち込むことが最近めっきり減った。肩の力も抜けてきたかな。そして、自分の中での天秤・判断基準がクリアに見えている。休職中に漫画やエッセイを読み耽って、僕以外の誰かの生き方を知ることができた。だから、勇気を持って踏み出す頃合いだと思う。面白いことを見つけるのが昔から得意なんだから、なんとかなるよきっと。難しいなと思ったら友達に相談しよう。

 

日記は今後も書いていこうと思います。制作した書籍版漂流日記も多くが僕の家から飛び出していきました。そして、嬉しい感想もたくさんいただくようになりました。僕の本がいろんな街の本屋さんにあると、なんだか知らない街にも僕の居場所があるように思えるのです。僕のことを待っているような気がするのです。これからもなるべく平易に、明瞭に、双極性障害のことを記録し続けるつもりです。

 

ちなみに、「円頓寺 本のさんぽ道」は今年度開催予定ではあります。コロナの状況下のため、正式な開催決定は10月中だったと記憶してますが。ゲリラ古書店フジモテキイグチも出店予定です。誰かにとってささやかな居場所の一つになれば、恩返しできたら、その一心です。

 


ちょうらくしょう - song by YARUNE SONOUCHI | Spotify