二足歩行の秋

久々に部署の上司と電話して、手帳を取得したことや日記のことを話す。あれこれ近況を話しているうち、面白そうなプロジェクトの話を聞いて復職したくなってくる。ちょっと焦ったりもする。ゆっくりでいいからねと仰っていただき安堵する。最近は少し躁っぽいから落ち着いていこう。

 

今年の春頃は、躁になったと感じたら高揚を冷ますように気をつけて、鬱になったと感じたら好奇心を誘発して温めるような、感情に対して反転した行動をとる生活を心がけた。ただ、勝手に突き進んでいく衝動を反転させるために使うエネルギーが膨大だった。引力の大きさを舐めていた。正直、この頃は身体・精神への負担がまだまだ大きかったように思う。

 

ここ最近は違う捉え方で物事を見始めるようになってきた。

 

「自分自身の癖を見抜いた上で、自然体でいる」

 

これが現段階での理想像なのだろうと実感している。春の反転生活に比べて、ニュートラルでいて省エネなスタイル。自分自身の理解に重きを置いて、無理に環境を捻じ曲げない。必要なのは、てこの原理。そのようにして淡々とフォームを変えずに日々を歩んでいく。

 

この捉え方のヒントになったのは先日読んだ色川武大のエッセイ『うらおもて人生録』。雀聖として有名な彼の、戦後間も無き頃の博打生活から学んだ実力と運、そして人生のエッセンスをこれでもかと記録した本。

何事もまずは徹底的に観察する。前哨戦に力を割いて1点をなんとしても稼ぐ。大一番はリラックス。そうして9勝6敗を目指し、結果6勝4敗ぐらいであれば上出来。15勝0敗を目指すと絶対にどこかで破綻する。

数多くのアドバイスに、読み進めてうなずくばかりの1冊だった。

 

ただ、先程述べた理想像を改めて見つめ直してみると、自分自身の癖を全て見抜くのは至難の業なのだろう。人間の行動の9割が無意識とよく言うし。だけど、この9割を8割7分に近づけようとするだけでも、結果はだいぶ変わってくるんじゃないかと思う。

1つ厄介なのは、癖を見つけてもそれを是正するだけの力があるか、欲望に打ち勝てるか。未だにラーメンとかよく食べてしまう。天秤にかけた時、ラーメンの反対側の皿が沈むような錘を見つけるのがいいのだろう。自分自身の癖に対するギミック・罠をどうやら僕は必要としている。反転するほどの力を必要としない、興味がそっちへ移るようなささやかなギミックを。

 

 

フジモテキイグチで制作したフリペで、合同巡回展「フリペ・オブ・ザ・イヤー」にエントリーした。先日、オンライントークイベントが開催され、僕が参加することになった。飄々と振る舞うが、その実かなり緊張している。予め紙にフリペのアピールポイントを何点か書いておき、それらを繋げるように話す。噛み噛みでもいいから、紙に書いたことを話せたら100点とする。極度の緊張癖と完璧主義を徐々に解きほぐしていかないとと思う。

イベントが終わった後、喋っている時の画像を見直すと、顔の輪郭が真ん丸である。お昼にビッグマックを食べたせいか。恐る恐る体重計に乗ってみるが、意外とそれほど太っていない。顔から太ってしまう悲しき体質。一番痩せていた頃を思い出してみる。身体をとにかく動かしに動かした高校時代。かなり雑に捉えれば、とにかく身体を動かせば痩せるのだろう。身体を動かしたらどう変化するか、興味が少し湧く。

そのイベント以後、ダイエットを決意して無理のない範囲で筋トレをするようになった。社会復帰するにあたって体力もそれなりにつけておきたい。一方で、おなかがグーと鳴るとラーメン屋にうっかり入って、しまったという顔をする。運動の秋と食欲の秋は同時にやってくる。