閃光と残像

瀬戸内海式気候の大阪とは違って、濃尾平野はよく雪が降る。今年の冬は一段と寒いと天気予報が以前伝えていた。湯たんぽをセットして眠るが、5時頃にあまりの寒さで目が覚めて、暖房のスイッチを押してまた眠る。最近は薄暗い7時前に起きるようになった。カーテンを開け外を見て、今日もどんよりしている空模様だと思っていたら、次第に雪が振り始める。

 

この頃、読書欲が久々に開花して様々な本を読んでいる。ちょうど一年前に買ってそのままだった、江戸時代後期に書かれた上田秋成の怪異小説短編集『雨月物語』を1日1話読み始める。

小西甚一の『古文の読解』も読み進める。こちらはプロローグで「ゆっくりお読みください」とあるので、逸ることなくのんびりと1日4ページほど読んでいく。

ユーモアを交えながら展開される平安王朝の世界に触れるにつれ、『源氏物語』を読んでみたいと思い始める。ネットで調べたら谷崎潤一郎訳版がkindleで約500円。購入して、読むためのアプリもダウンロードする。データを開いてみれば、なんと2050ページもある。あんまりよくわかっていないまま購入したが、こんなにロングストーリーだったとは。今は最初の『桐壺』を読み終えて、第2帖『帚木』の冒頭あたり。あまりに長すぎて、いつもなら気にするはずの読むペースが全く気にならない。どれだけ読み進めても、終わることがないのではないか、そんな心地さえする。

 

普遍性や悠久、そういったものにどうも興味を持ち始めている。悲しみや喜び、それらを感じ取る心、そういうものに触れたい。

登場人物を別の人間に取り替えても気にならないような、非常にあっさりした印象を読み進める中で感じる。彼らは直接的な台詞で感情を表現することをあまりしない。代わりに和歌が登場する。心象を、変わることのない自然の風景に重ねて三十一字で表現する。それが、なんだか消えても永続的にその風景に残り続けるような、不思議な気持ちになる。その心地が、人間それぞれが持つ悲哀と歓喜、根底の部分と繋がっているように感じる。ふと、SUPERCARのアルバム『HIGHVISION』の曲もそういう表現ではないかと、確信できないけれどもなんだかそんな気がする。今度じっくり聴いてみようと思う。

 

てきちゃん漂流日記がとうとうメルカリで流通し始めた。個人的に、もうちょっと値段設定低くしてもいいんじゃないかと思う。中には定価で出品されている方がいる、たぶんそれは誰も買わないぞ。あと、コメント部分は保存状態だけじゃなくて中身の説明も書いていたほうがいいと思う。何の本か全くわからないカバーデザインにしているから。

僕の思考は本になって見知らぬ人の家に飛んでいったどころか、僕の知らぬところで自由に羽ばたいていくようになった。そりゃ本屋さんでお迎えいただけるのがなんてたって嬉しいけれども、個人間でやり取りされることだって僕は嬉しい。僕がコロリと死んでしまっても、羽ばたき続けるのかもしれない。普遍性・悠久の一側面を垣間見ているのかもしれない。面白いことだと思う。

 

20世紀を代表する数学者、岡潔の随筆集『春宵十話』、『数学する人生』(こちらは森田真生編)も読む。

彼は「人の中心は情緒である」と主張する。

多変数複素関数論の数々の功績も、西洋的インスピレーションではなく東洋的情緒によって生まれたと彼は言う。閃きのスパーク派の僕には、心の奥底からふつふつと湧いてくるようなその境地がさっぱりわからない。

「数学は百姓で、理論物理学者は指物師」とも彼は言う。種子を見つけて蒔けば、後は自然に任せて数学は育つ。指物師は既に存在するものを加工して別の姿に変える。アインシュタインの発見から30年足らずで原子爆弾を生み出したように。情緒の通り道を塞いだ指物師の仕事は非常に危険である。なんとなくわかるようで、その根底まで僕は絶対に理解できていないと思う。読んでいるだけではわからない。

ここ1年半、本ばかり読んでいたが、実際に手を動かして数学をやってみたいと思い始める。岡潔に影響を与えたポアンカレが提出した「ポアンカレ予想」も気になる。しかし、指数対数の導関数やら行列がどうのこうのとか、僕は全てさっぱり忘れた。こういう時はきっと結城浩の『数学ガール』を読むべきなのだろう。かなり丁寧だと聞いたことがある。調べると6巻がちょうどポアンカレ予想だったが、いきなりスラスラと読めるかというとやっぱり不安である。パラパラめくっていけそうだったら6巻を借りよう、無理そうだったら基本的な内容から進めてみよう。そう思い立って、雪降る中を傘差して図書館へ向かう。

今日は休館日だった。

 

午後、産業医面談で先生からとうとう復職のゴーサインが出る。これから手続きなどで慌ただしくなるのだろうか。とりあえず浴室やトイレ、キッチンの掃除を進めている。次はリビングの断捨離。

 

僕はどちらかというと指物師側の職業に就いている。さて、どう働くべきか。何を作ろうか。何を目指そうか。人間の心に対する共感を忘れてはいけないのだろうなと思う。僕なりの答えはだいぶ昔の日記に書いている。読み返してまた整理しておきたい。

心は真っ平らに落ち着いている。だけど、自分で手に入れたいことが多くて、時間が足りない。Youtubeなどをあまり見なくなった。そういうノリにあまりついていけなくなった。本ばかり読んでいる。浮かんだことをメモ帳に書く。20分ほど昼寝する。

『春宵十話』には「(直観があれば)生涯は瞬間的現象にすぎない」という文がある。これを生涯かけて取り組みたい、そんな目標を持った人間の生涯は一瞬の閃光のようになって、しかしながら残像のようなものがそもそも初めから存在し、弾けた後も残り続けるようなことになるのだろうか。僕にはわからないことだらけだ。高瀬正仁の『評伝 岡潔』も読みたい。何故なら、彼は僕と同じ病気だからだ。病気とどう向き合ったのか、そのことも気になり続けている。