街の重力場について

目覚めてカーテンを開いたら、スマホYoutubeを開く。「ラジオ体操」と検索して、ラジオ体操第一・第二・第三をぶっ通しでやる。9分間、きびきびと動く。終盤になると結構ハードになり、肩や腕をぶんぶん回すのでほぐれていく。ストレッチなどあれこれ試してみたけれど、ラジオ体操が一番気楽でいいやと思う。第三で流れるメロディーが明るくて、行進するような足踏みのリズムが楽しくて、朝が来たことを実感する。

 

外は暗いニュースが多くて、カーテンを閉めて目を背けたくなる。せっかくラジオ体操で動かした身体を布団に戻して、わざわざネットサーフィンしてはため息をつき、今度はSpotifyを開く。思うところがあってPet Shop Boysの『It's Alright』を聴く。

”Generations will come and go
But there’s one thing for sure
Music is our life’s foundation
And shall succeed all the nations to come”

1989年リリースだからマルタ会談と同年。僕はあの時代を経験していない。ただ、人間的な生活の基盤を軽んじる時代の到来を思うと恐ろしく感じる。既に忍び寄っているかもしれないが。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『橙』も久々に聴く。

「眠らないコンビニエンス 現代が手にした「永遠」」

この言葉が昔から好き。あくまでも表現として。指す中身は嫌だ。嫌だと思うけれども、僕もその「永遠」に取り囲まれてその渦の中にいる。ちゃっかり恩恵を受けている。都市生活者の抱える矛盾なのかもしれない。しかし、山奥に移住する気は全く無い。昆虫が大の苦手だから。

ライブで聴いたサカナクションの新曲『ショック!』や『フレンドリー』も、現代に潜む虚ろさを描いていたように感じた。ニューアルバムは3月下旬。都会の一室で音楽を聴き、歌詞を読んで、ふにゃふにゃ考え込んでそのまま微睡んでいく。

僕にだって落ち込んだりうんざりすることもたまにはある。いや、めちゃくちゃある。「フォロワーが多いほど、声がデカいほど、稼いでいるほどに推進力が働く」、そういう立ち回りにげんなりしている。空回った広告などを見るとこちらの感性まで奪われそうで、皮相的でつまらない時代になってしまったなと落ち込むこともある。「令和」の2文字が世に現れた時、僕はちょうど入社式の真っただ中にいて浮かれていたんだけどな。

 

最近、モンテーニュの『エセー』を読んでいる。エッセイの語源となった著書であり、人間の営為に迫った107の随筆が並ぶ。予め一度に読む量などを決めずに、自由気ままに読んでいる。時間や実利を気にしない。その意味では過去も未来も無く、読んでいる今の瞬間という「永遠」の中に放り込まれている感じがする。

第14章のタイトルは「幸、不幸の味は大部分、われわれの考え方によること」。確かにそうだと思う。しかし、時代のうねりの中で自分の味覚を冷静に信じられるだろうか、そう不安になる。夥しい情報に触れ、自分の無力さを感じる中で。

ただ、その時々の時代性を人々の思いの総体とするならば、僕も時代性の構築に関わる1人の人間であるだろうし、味わいを信じることに意味はあると思う。もちろん、おいしいと感じるように、味わい方を疑って適宜修正するのも大事だけれども。少しでもおいしいと思えるように、主体的に手を動かしていくのだろう。その手応えが未来に向かって確かに動く。悲観的になっている暇はあまりない。でも、自分自身で全部やろうとする悪い癖があるから程々にしないといけない。

 

再び目を覚まして、いつものYさんに髪を切ってもらう。大阪に引っ越すから、これからYさんに切ってもらうことは少なくなるだろう。名古屋に来る機会があったら切ってもらおう。いつも僕のバカな話を聞いてくださってありがとうございます。

髪を切ってもらった後、そのまま古渡町の方へ行く。昨年出会ったスリーピース古書店の美鶴堂さんのイベントに顔を出す。わいわいと賑わっている。毎度のことながら、彼らが生み出す居心地の良さって何だろうなと思う。

ひとしずくさんで出会った方もいらっしゃり、一箱古本市に出店したいとのことで相談を受ける。「出店申請してから考えたらいいっすよ」と軽いことを言ってしまう。でも、実際に出店してみないとわからないことがたくさんあるだろうし、何よりその楽しさを肌で早く感じてほしいと思う。だから、あながち間違ってないと信じている。

美鶴堂の皆さんと本や仕事の話をする。たくさん話したけど話し足りない。みんな、また円頓寺で会えたらな。

並んだ本の中から、バウハウスの教授である美術教育家モホリ=ナギの『ザニューヴィジョン』を発見する。頭の中のレーダーが「これだ!」とビビっと反応して購入する。家に帰って読んで「やっぱりこれだ!」とうなずく。

 

大学生の頃から時々、「場」というものは何だろうと飽きずに考える。「場所」ではなく「場」、”Place”ではなく"Field"。電場や磁場のような、何かに力を及ぼす空間の性質。そういうものが街の中にあって作用しているよう思う。それは正の方向にも負の方向にもきっと働く。購買意欲をそそらせる性質が前面に出た空間は、あまり人間のためにならないんじゃないかと思う。

1年半も休職して本屋さんに入り浸って、居場所をたくさん見つけて、繋がりが新たな広がりを生み出す有機的な場面を直接見て、そういう求心力と遠心力を持ったヒューマンな場により興味を持つようになった。僕は生きることで精一杯だけれども、一生かけてそういうことを考えたい。復職を決める前、本屋さんにならないかと誘われることもあった。確かに名古屋では若い皆さんが続々と本屋さんを開業して、ある種の文化的ムーブメントが生まれている。ただ、1日の売上を見て逐一肝を冷やしそうな小心者の僕がやるもんじゃないと思う。飽きっぽい性格だし掃除も下手だ。それに、店を設けてしまうとフジモテキイグチの一員として全国各地に出没するのが難しくなるだろう。だから、本屋さんになるのはやめといた。僕じゃない誰かが代わりにこの波に乗って、素敵な本屋さんをきっと構えてくれる。

そのようなムーブメントを支える下地の形成、変わりゆく時代性、心が通う人間味のある空間。そういったことを様々なスケールで考える機会がたくさんあるのではないか。そう感じて就職したし、復職することを決めたんだと思う。もちろん、採算性とかそういうものがあるんだけど、それでも僕には身を投じて考えてみたいことがやっぱりある。じゃないとさ。

そのようなことを考える上で、一度バウハウス丹下健三の頃まで潜ってみないといけないような気がなんとなくする。現代建築・都市の黎明期、インターネットが無かった時代の捉え方を再確認する必要があるように思う。それをどう応用するかはさておき。

ただ、経験の中でそういうことを考えていたいんだけど、病気のこともあるから無理しちゃいけない。とにかく無理をしすぎる性格なもんだから。たった1人で文化ができる訳じゃないんだから。

 

復職が本日正式に決まったらしい。引っ越しなどでこれから大忙しなんだろうな。

 


It's Alright - song by Pet Shop Boys | Spotify


橙 - song by ASIAN KUNG-FU GENERATION | Spotify


ショック! - song by Sakanaction | Spotify