5人のてきちゃんと8人の読書会

本棚に並んだ本をどんどん段ボールに詰めていく。引っ越し業者さんから受け取った全ての段ボールで、全ての本を収めていく。作業を終えてベッドの上でゴロゴロしていると、読書会に持っていきたかった双極性障害に関する本まで詰めてしまったことに気づく。探すのは諦めた。

 

『てきちゃん漂流日記』の読書会の開催日が近づいていく。僕と、ひとしずくの田中さんと、漂流日記大ファンのひとしずく常連Kさん(昨年の「円頓寺 本のさんぽみち」ボランティアで仲良くなった方)。どう進めていくかを3人で練っていく。

トークイベントのような話し手と聞き手が向かい合う配置ではなく、円形に座る配置に決める。あの日記について僕自身何がどうなっているのか理解できていないことも多々あるので、僕も一読者として紛れ込んだほうが良い。シャイなので視線を浴びると照れてしまうのもある。円形の配置となると、定員は僕たち含めて8人ぐらいか。それ以上多いと、全員を巻き込んで話すのが難しそう。

ご感想お聞かせくださいといきなり放り出すのも困ると思うので、予め重要そうなトピックを抽出する。

①病気との向き合い方

②病気になった原因

③日記を書くこと

④本を制作すること

⑤本を売ること、様々な方と出会うこと

⑥感想の中でよく聞くこと

 

併せて、参加者の方々へ事前に質問を募る。それらを基にして田中さんに進行表を作成していただいた。過去に制作した資料も配布しよう。ここまで準備すればいけるっしょ。世界で一番漂流日記を読んでいるKさんが進行を務めてくださるし。

 

とはいえ、内心めちゃめちゃ不安である。こういう場を設けて病気のことを話すというのが初めてだし、繊細な部分もあるので難しいように思う。誤ったことは言いたくない。

田中さんから、定員全て埋まったと連絡が入る。元々定員が少ないとはいえ満員御礼、本当に嬉しいことです。友人たちもいるし、当事者の方もいらっしゃるし、楽しみだし興味深い。一方で、こうなると責任重大になってくる。適当なことは決して言えない。手元に残っているスケッチブックなども読み返して、当時の頭の中を思い出す。

 

読書会当日の朝になる。ペラペラ話せる日か超シャイな日か、それが当日になってみないとわからないことも実は不安だった。ベッドから這い出て、背伸びして、自分の中で確かめる。たぶん、おしゃべりモンスターの日だ。無限に話せる。そうとわかって安心するが、喋りすぎたら田中さんとKさんに止めてもらわないといけない。

まず、おなじみのナディアパークLOFTでホワイトボードを買う。スケッチブックのような形で、複数枚にわたって書けるホワイトボードを見つけた。これは使いやすそうだ、購入してひとしずくへ向かう。

田中さんに資料を印刷しに行ってもらう間、代わりに店番をする。ずっとそわそわしている。別に緊張することはないはずだけれども、それでもやっぱり緊張する。きっと、喋り始めたら緊張なんていうのはもう遠く向こうに行くはずなんだけれど、第一声までは、やっぱり僕は。

田中さんが帰ってきたら、ホワイトボードに重要トピックや質問を書き出していく。これらをみんなで確認しながら話せるようにしておく。ずっとそわそわしている。

受付時間になり、会場のビル与白さんに移動する。机や椅子をセットして、名札や資料も並べていく。続々と皆様がお越しになられる。そわそわしたまま読書会が始まってしまう。肩の辺りがガチガチにこわばっている。

 

全員の自己紹介、僕と病気と日記の自己紹介、ホワイトボードをめくって重要トピックの提示。それが終わったら、はいスタート。

肩の力が抜けて緊張がスッと消える。Kさんの進行がびっくりするほど上手で、トントン拍子で話が進む進む。僕も安心して喋る喋る。ただ、読書会の内容全てを書くのはなんだか嫌なので、この日記では特に印象に残ったことと補足事項だけ書きます。

 

ちらっと隣のKさんを見ると、手にしてる漂流日記に大量のメモが書かれていて、思わず「ひえっ」と畏怖の声を上げてしまったのです。現代文の授業ノートのようにびっしりと。どうやら物語として読んでいるらしいとは聞いたことあるのですが。

そのKさんの感想で、「漂流日記には5人のてきちゃんが現れている」というのがあったのです。それを聞いた時、さすがに震え上がりました。スケッチブックに書いた過去の僕のメモにも同様のことが書かれているのです。Kさんには僕のことが何でもお見通し、ひいっ。

1人目:躁のてきちゃん

2人目:鬱のてきちゃん

3人目:躁鬱を制御して考えるてきちゃん

4人目:考えを日記に書き綴るてきちゃん

5人目:書籍制作時に加筆修正するてきちゃん

この5人の手によって書籍版漂流日記が制作されています。違う言い方をすると、これだけのフィルターを通して、躁や鬱のうねうねした考えを文章に変換していることになります。

そして、「日記を続ける秘訣は何か?」という質問にも繋がるのですが、僕のモットーに「読み返して恥ずかしくならない文章をできるだけ最初から目指す」というのがあります。恥ずかしいこともあるけれどさ。要は、僕にとって読み返すための日記なのに、読み返すことが辛かったら長続きしないのです。

ただ、吐き出すための文章を必要とする方も、もちろんうねうねした文章のままでもスイスイ読み返せる方もいらっしゃるでしょうし、人それぞれだと思います。ただ、僕のような方法で日記を書く場合、読み返した時に、読み返す行為に対して後悔しない文章になっているか。その納得具合が大事なのだと思います。現時点で笑い話にできないことは、笑い話にできるようになった未来の自分に書いてもらう、そんなスタンスです。

ちなみにKさん曰く、漂流日記に出てくる「コメダ」というワードがどの日記に登場するかを全て調べたことがあるらしいのです。「コメダ」という言葉がどうも名古屋人の生活に密着した空間として想起され、それがてきちゃんの生活感の表現などに繋がってるんじゃないかと興味が湧いたというのが理由だそうで。他にもたくさんの感想をお聞きしたのですが、読みがびっくりするほど深く精度が高いので終始舌を巻いておりました。もはや、国語の授業でございます……

 

当事者の方々の間であるあるだったのは、躁で何でもできちゃうような状態がアビリティなのか症状なのか、どう認めてやればいいのかわからなくて困るということでした。

僕のケースだと、日記を通して病気を性格から一度分離させて観察しているつもりです。ただ、その方法もいつかは限界があるとも考えています。性格・気質と病気が密接に関係しているのが理由です。完全に分離させるのはどうしても難しい。なので、手元に置いて観察し続けた病気を、もう一度身体内のハート型の箱の中に収納することが将来必要ではないかという気がしています。

ここまで観察した、後はわからんという感じ。ここまではアビリティだとわかった、この先は妥協しようという感じ。かっこよく書けば「人事を尽くして天命を待つ」だと思います。

病気に対して興味を持って人事を尽くす。天命を待たなくてはならない時にすべきことは、どういうブレーキのかけ方をするか。それを考えればひとまずは大丈夫なのかなと思います。

 

関連して「躁大暴れ期にどうブレーキをかけるか」というご質問。正直、僕自身もこれにはほとほと困っています。というのも、一番手っ取り早いのはドカ食いとやけ酒ですから、未だに僕もしてしまいます。コンビニで調達できますからね、簡単です。僕は気管支が弱いのでしませんが、タバコを吸うのもあるでしょう。冷静になるために一服。タバコを吸うことができたら、きっと僕はヘビースモーカー。

こういう場合に僕がよくやるのは、自転車で遠くへ行くことです。意気揚々と出かけるものの、僕は一体何をしているのだろうと思い始める。それで引き返して、疲れたからのんびり本を読み始める。もしも目的地に到着しちゃったら、いいじゃないですかそれはそれで。家に帰ったらヘトヘトで眠りたくなるでしょう。何してるのだろうバカみたいと思わせるか、ささやかな達成感を与えるか。それがクールダウンの方法の1つなのかもしれません。調子に乗らない程度の達成感を与えるのが健全な気はします。

あとは、例えば日記はなるべく22時までに書く、それ以降は頭が冴えるのでやめておくといったルールを予め設けるなど。それが簡単にできりゃ苦労しませんが。インセンティブが欲しいですよね。早起きしたら、枕元に直接三文置いてあるような。

 

そんな具合でKさんの名進行、田中さんのアシストに助けてもらいながら2時間ノンストップで喋り、まだまだ喋り足りないけどあっという間にお開き。対話しないと掴めないようなことばかりでした。病気と向き合う中で上手くいかなかった部分をもうちょっと話したかったかも。ここはこういう表現の方が適切だったなとか。けど、過ぎたことはくよくよしない! これも漂流生活で学んだことであります。

 

読書会が終わった後に、とある方からとあることをお聞きする。このことは僕にとって冥利に尽きることで、ただただ日記を書き残してよかったなと、なんだか生きていてよかったなと夜空を見上げながらひしひしと感じたのでした。

 

あれほど入り浸ったひとしずくさんに行くのも、引っ越し前最後と思うと寂しくなる。あの居場所に携われて本当に良かったなと感じています。僕にとってまだまだ不思議だけどこれからも日記を書き残して、2巻も制作して、また瀬戸に行こう。そんな1日でした。

 


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