生還(1日目)

朝早く起きて、ラジオ体操をする。1、2、3、4。それから、昨日ユニクロで買ったシャツに付いているシールなどを剥がし、身に着ける。上からスーツを着る。そして、ネクタイを巻く。

1年半ぶりにこの格好になる。白髪が増えてなんだか老けちまったなあと思う。1年半の療養生活による身体への負担は結構大きかったのだろうな。

昨日、寝る前にストレッチをした。そのおかげか肩周りが思ったより強張っていない。緊張が和らいでいる感触を全身で感じる。

 

かなり早めに家を出る。道中の踏切が開くのを待つ。待つのだが、一向に開く気配がない。左右から電車が来ては過ぎていく。その光景をぼーっと15分眺めていたら、ようやく開いたのでダッシュで渡る。踏切を回避できるような歩道橋やトンネルは無いだろうか。通勤ルートを研究する必要がある。

最寄り駅から乗る電車は満員だった。混雑していない路線だと思っていたのに大誤算。ドアにもたれて本を読む。途中の駅で進路を譲るために一度降りたら、乗ってきた客が多すぎてその車両には乗れなくなってしまった。ダッシュで隣の車両に乗り込む。これをこれから繰り返すと思うと、参ったなと少し思う。

駅を降りて会社へ歩く。たぶんこの方も弊社の方だろうなと思うのだが、誰なのかさっぱりわからず。ワイヤレスイヤホンを外して、社員証を付けて、平然としたふりをして会社の中へ入る。会社に近づくにつれ、足が震えている、腰が砕けそうになる。

階段を上ってこれから働くフロアへ。割と早く着いたので、人はまばら。自分の席がどこになるのかわからない。休職して大迷惑をかけてしまった大先輩がいらっしゃるので挨拶する。怒られるのも覚悟していたが、1年半も経ってしまったこともあってか、第一声は「ごくろうさまです」。逆に、本当に申し訳なくなる。信頼を、信用を積み重ねる、これからの僕はただそれのみ。

僕は極度の人見知りであり、ニコッと笑う人にはいち早く懐くが、笑った姿を見たことない人にはいつまで経っても苦手意識を持ってしまう。幸い、これから所属する部署は皆ニコッとしている。先輩もとても優しく教えてくださる。仕事の厳しさというのが当然あるはずだけれども、そのことだけで僕はホッとする。

始業、社長室で辞令交付。辞令を受け取って、いよいよ帰ってきたかという感じがする。

フロアに戻って、ディスプレイやプリンターなどのセッティング。後ろの部署は大規模な人事異動があったのか、みんな立ち上がってワイワイ話し合いながらせっせと物を運んでいる。セッティングの合間に、役員の方々へのご挨拶。無理せずぼちぼちと。頑張ります。

10時半から産業医面談。今までオンラインで面談していた先生と初めてのご対面。先生曰く、今年の1月までは症状に苦しんでいたのに、その後の2ヶ月間で本来ありえないような回復をしているとのこと。確かその頃に復職すると決めたから、それで悩むこともなくなってひた走ってきたのだろう。逆に言えば、急に上昇しすぎている。とにかく無理せずにスモールステップでいきましょう。

産業医面談が終わったら、次はこれから直属の上司となる方との面談。この方なら絶対に大丈夫と信じている。中島らもの本が大好きらしいから。絶対に大丈夫。

仰っていたのは、元気に出社するだけで150点だということ。大学時代に落単星人だった僕には夢のような話である。もちろん、それが難しいのであるが。

後は、スモールステップで目標を立てること。目標を完成させるのではなく、ラフに書いて上司とブレストする形でブラッシュアップすることに。病気を持ちながら、どう働くのか。作戦というほどではないけれども、病気を一番知っているのは僕だから主体的に動かなければならない。あざとくなければならない。

そして、少し長期的な、なおかつ緩い目標を立てること。こういうジャンルに興味があるなとか、そういう話。同期や先輩、後輩からどういうプロジェクトが進んでいるのか、進んでいたのか確認する必要がある。そうして仲良くなっていくのだろうな。

上司曰く、どうも僕は生真面目すぎるようだ。すぐ仕事のことばかりを考えてしまう。しばらく、周りの方々を観察する必要があるように思う。メリハリの付け方をとにかく観察。そう考えると読み返したくなるのは、色川武大の『うらおもて人生録』。最初は徹底的に観察。9勝6敗を目指して、最終的に6勝4敗くらいの比率だったら良しとする彼の金言がここで光る。

上司の提案で、同期たちの前にひょこっと現れて挨拶する。1年ぶりに会う人もいる。僕の病気をよく知らない人ももちろんいる。とりあえず「ありゃあ大変でござった」と言っておく。僕が休んでいる間に退職した同期がちらほらいる。僕の知らない間に給与体系が変わっていたりする。浦島太郎になった僕は。

皆GW明けで疲れた顔をしている。10連休後の出社。ところがどっこい、こちらは約500連休後の出社。かかる負荷は50倍。だからといって別に誇ることでもない。

 

これから2週間は午前中のみの勤務。1日あたりの消費カロリーを、13時の時点で既に消費している。緊張して心拍数が上がりすぎると、もはや脂肪燃焼の域に達する。労働は痩せる。

昼間にオフィスから放り出されるが特にすることがない。茶屋町ジュンク堂の漫画フロアを徘徊するが、イマイチ棚に手が伸びない日だ。仕方なくカフェで抹茶ラテを飲みながら本を読む。中島らもの『今夜、すべてのバーで』。破滅しながらも酒を飲んで快楽を得るか、生存への希望や他者への愛、そして幸福を掴み取るか。アル中の主人公が挑む具体と抽象の闘い。

 

カフェでちょっと涙目になりながら読み終わり、本を閉じてスマホを開くと、サカナクションUnderworldが7月にスペシャルライブを開催するらしい。これは大事件である。日程を見ると水・木曜日に東京で。休職していた頃なら躊躇なく足を向けていたであろう平日の東京が、なんだか遥か彼方に遠ざかっている。働くってこういうことかと、改めて感じている。