目覚め(2日目)

午後4時。梅田のカフェから帰宅して、コップを台所の棚から取り出す。氷といいちこを放り込んで、ついばむようにちまちまと飲む。今日くらい、いいじゃないですか。

ダラッとした姿勢でLINEを見ていたら、友人からメッセージが入っていた。こころのコンディションがすぐれておらず、明日から休職するらしい。すぐに電話し、そのままの勢いで大阪駅のあたりで会うことに。電車に乗って駆けつける。

 

休職生活の引き継ぎをする。

 

家に帰って肩のストレッチをして眠る。

今朝、起きてすぐにラジオ体操をする。肩がぐるぐる回る。まだ凝り固まった感じがするけれども、幾分マシになったように思う。

なんだか目がシャキッとしている。引きこもり生活時代のぼんやりとした目を喪失してしまった。変わってしまった。

玄関の鍵をかけて、駐輪場の自転車の鍵を外す。自転車に跨って、踏切を回避できる通勤ルートを探す。少し離れた場所に、すりばちのように窪んだトンネルを見つけた。くぐって線路の向こう側へ出る。これにて、迂回ルートの開拓に成功。そのまま駅へ向かう途中でちらりと見ると、昨日全然開かなかった踏切のバーが振り上げられて、人々がのんびりと渡っている。踏切を待つか、迂回するか、それが問題だ。

駅に着くが、無料だと思っていた駐輪場が実は有料でショックを受ける。駅前まで自転車で移動する通勤計画が崩れる。改札のディスプレイが慌ただしく明滅している。10分ほどの遅延発生。岡潔の『数学を志す人に』を読みながら気長に待つ。向こうのホームは電車を待つ人で溢れかえっている。こりゃ大変と他人事のように見ていたが、どんどんこちらも人がホームに入ってくる。やってきた電車はすし詰め。本も開けないまま圧縮されて運ばれていく。名古屋時代は自転車通勤をしていたから、ニュースで見るようなコロナ禍の通勤を遠い世界の話のように感じていた。こんな満員電車で通勤していたらそりゃコロナにも感染するわなと今になって実感する。

 

会社を前にして、そこまで緊張しなくなる。デスクに座ってメール、事務作業、資料確認。10時から上司によるプロジェクトのレクチャー。復職2日目と思えないほどなんだか頭が冴えている。矢継ぎ早に「ああ、そういえば」とイメージが浮かぶ。褒められるので普通に浮かれている。

これが実にマズい。とかく打率が高すぎる。ここで調子に乗ると後に響く。怪物が目覚めて元の木阿弥になってしまう。働くということが超楽しくなっているのだが、それを淡々と押し殺さなければならない。素直に喜ぶべきものは喜ぶとして、過剰な歓喜と悲哀を遠ざける。

そういえば、しれっとオフィスに溶け込んでいるが、周りには軽い挨拶しかしていない。病気のことを話していない。後々、ちゃんと話さないといけないなと思う。

「仕事ができている」ように見えている状態が、実は症状であるかもしれないことを。

今日はあっという間に勤務終了。緊張しすぎて心拍数が脂肪燃焼の域に達した昨日とは異なり、今日はカロリー消費控えめ。負荷が目に見えて小さくなったということか。労働では痩せない。

 

昼、家に帰る間も考えるのは、どうやってこの熱を冷まそうかということ。結局、借りていた本を中央図書館へ返しに行くことにする。気分転換に自転車に乗って、浮かぶ考えを跳ね除ける。

図書館で棚に並んだ本のラインナップを観察する。やはり全体的に少し古めか。1冊の本に目が留まり、手に取って開いてみる。

間違いない。朝にレクチャーを受けたプロジェクトの重要な参考資料になるかもしれない。出版年は古い、知られていない可能性がある。貸出手続きをして、すぐに家に帰る。自転車の上で、この本はどういう使い道があるか、どのような意義があるか加速度的に展開していく。

こういう強運と直感を今は呪う。冷まそうとしていたのにすぐ加熱される。僕の狂った熱伝導率を、今はただ呪う。