踊っている指先

退職することに決めて、その意向を上司に伝えると、細い煙のようにひっそりと話が上へとあがっていき、すんなりと常務会で承認された。事情が事情なものだから、引き留められることもなく。ただ、重たかった何かが自分の中から剥がれたような感覚があるのは確か。

 

会社を辞めたら、就労移行支援の事業所に通いながら転職活動をする。そう決めたのだけど、なんだか生活に張り合いが無いなあと、最近漠然と感じることがある。これはちょっと危ういなあと感じたりする。何か新しいことを始めてみようかなあと思ったりする。

 

事業所のカリキュラムの中に、紙に書かれた数字を電卓で計算するというものがある。これを見取り算と言うのだが、いかにミスを減らしつつ作業に集中して取り組み続けられるかが大事らしい。

初級編は簡単だったので、中級編から始めてみる。手元の紙をチラッと見ては、書かれている6桁程度の数字を暗記して電卓に入力する。それなりに速く入力できているらしく、周りにコツを聞かれるが、僕もよくわかっていない。ミスはちょいちょいある。

見取り算の上級編も一周してしまい、次は伝票算へ。束ねられた紙に数字が5つ書いてある。計算方法がわからない。そっと紙の束を棚に戻して、別の作業へ逃げる。

 

家に帰って夜、伝票算について調べてみる。1枚の紙に書かれた数字を合計するのではなく、紙をめくっては同じ位置に書かれた数字を電卓に入力するらしい。どのように計算するのかYoutubeで確認してみると、商業高校の女の子が凄まじいスピードで電卓の上に指を走らせている。左手で伝票をめくり、ペンを持ったままの右手で電卓に入力する。四方八方を鍵盤で囲まれた小室哲哉みたいになっている。

 

翌日、文具屋でカシオの電卓を買う。形から入る。試しにポコポコ計算してみる。0の上にACのキーがあり、計算途中でリセットされることしばしば。

毎朝、ネットに掲載された練習式を電卓に入力するようになる。もたついている指先。

 

123,456,789+987,654,321=1,111,111,110

147,258,369+963,852,741=1,111,111,110

 

そうして、いつの間にか電卓を見なくてもそこそこに入力できるようになっている。事業所に通い出した頃よりもますます速度が増していく。加速していく。無心でキーを叩き続ける。

 

これが何かに繋がらないかと思って、あれこれとスマホを見ては考えて、簿記2級を受けてみようかと考える。就活でそれなりに有利と聞いたことがある。とりあえずやってみるかと3級の講義動画をYoutubeで見てみる。板書を写しては説明するように音読してみる。休職して暇なので1週間で見終えてしまった。ブックオフで問題集を買い、解いてみる。返り討ちに遭う。全体の3割ほどを解いたあたりで、この本は試験時間が2時間だった頃のものであり、現在の試験は1時間に短縮されていることに気づく。安物買いの銭失いと思いながらジュンク堂に行く。

 

なんとかなるでしょうという漠然とした甘い見込みを抱いたまま、ブックオフで2級のテキストを買いに行く。商業簿記と工業簿記の2つがあるらしい。どちらかを選択するのだなと思って商業簿記だけ買ったら、実はどちらも出題されると知る。出題範囲も購入した本の頃と現在とでは少し異なるらしい。安物買いの銭失いと思いながらジュンク堂に行く。

 

そうした紆余曲折を経ながらも、勉強の計画を立てて、ちまちまと演習問題を解き、今は原価計算の修行を積んでいる。昔のように、解けない問題が登場すると癇癪を起こしてペンを投げることもなく、ただ電卓をカタカタと鳴らしながら机に向かっている。減価償却や資本金の意味を初めて知ったりして、意外と楽しかったりする。すぐに辞めてしまった筋トレよりも、勉強の方が無心でいられてストレス解消には良いのかもしれない。年始の頃に2級に受かればいいなあと思っている。

決めてしまったらその方向へガッと集中してしまう人間だから、ガリガリと勉強していて日記を書くのを放ったらかしにしてしまった。日記をどのように書いていたかも、なんだか遠い記憶になってしまった。また、ぼちぼちと書いていこうかな。